Language: 日本語 English

第15回:世代間の合意と『開国』を(青木昌彦)

世代間の合意と『開国』を

執筆者:青木昌彦

(※本稿は2011/1/5付けの日経新聞「経済教室」に掲載されたものを許可を経て転載しております。)

 日本の政治・社会は混迷と無気力の度を深めている。世論調査演出の政権たらい回し、政策論争を忘れた政治家たちの首取り合戦、一部マスコミの加虐趣味、場当たり的外交、長期社会資本投資を忘れた縮み志向、若年世代と女性の機会拡大に対する無関心や単身者の不安など、その兆候は数多い。

 だが未知の人口成熟化社会(老齢化と少子化)に向かう日本がこの体たらくでよいのだろうか。日本の歴史的・国際的立ち位置を再確認し、進むべき方向性についてビジョンを共に紡いでいく、積極的姿勢と意欲が今必要ではないか。

 中国、日本、韓国、台湾、香港、シンガポールの2009年の国内・域内総生産(GDP)を実質価値(購買力平価換算)で総計すると、15・8兆ドル(国際通貨基金=IMF推定)にのぼる。これは米国・カナダの15・5兆ドルに匹敵し、欧州連合(EU)の14・8兆ドルを超えた。このように巨大な経済圏となった東アジア経済は、これからどう進むのだろうか。中国が高成長を続けて地域覇権を握るのか。日本の存在感はますます薄くなっていくのか。

 日中韓3国の公式データを用い、1人当たりGDPの成長源泉を分析して、図に表した。日本の1956~69年、韓国の71~90年、中国の78~2008年の高度成長のパターンには著しい類似性がある。脱農業化の構造変化と人口ボーナス(それに先立つ時期の高出生率がもたらす労働人口比率の増大)による貢献が大なことである。現在、中国沿岸の1人当たり実質GDPは、日本の70年代後半、韓国の80年代中半に近づいているが、農業雇用比率は30%とまだ高い。

図:一人当たりGDP成長率の源泉(日本・中国・韓国)

 引き続く日本の71~90年、韓国の91~08年には、労働力の量的拡大・脱農業の貢献は後景に退き、工業労働生産性の自立的向上が、1人当たりGDPの成長を持続させた。昨年に労働力人口比の増大がピークに達した中国も、遅からずこのフェーズに入る。農業からの雇用移転の余地はまだあるが、ここでも転換点を予想させる事態がおこり始めている。農村戸籍の都市労働者、「民工」の賃金増大である。

 日本では労働人口比安定期に次いで、いわゆる「失われた20年」の時代が続く。人口成熟化によるマイナス効果が表れ始めるが、その影響は次の10年、20年にさらに強まるであろう。韓国は91~08年においてもまだ人口ボーナスを享受し得たが、逆にそれは10年後に日本を上回る未曽有のスピードの人口老齢化をもたらす。忍び寄る人口成熟化は中国においても例外ではなく、一人っ子政策の再検討が政策論争となりつつある。

 野生の雁(がん)は、長距離飛行の浮力効率を高めるために、V字型の隊形で飛ぶ。30年代の初め、赤松要教授はアジア地域の経済発展パターンを説明するために、その比喩を用いた。先頭の雁(日本)から後続の雁へと次々に技術移転が行われ、アジアが全体としての発展を遂げるというビジョンだった。だが、先頭の雁はいまや老い始め、中国が力強く、遅れを取り戻そうとしているかにみえる。

 だが、日本はこれまで人口・経済の動態を常に先取りしてきただけでなく、いまや近代史には未知の人口成熟化社会という気圏に向かって先行しているのである。そしてこの動態には、のちに示唆するように制度変化が伴う。 韓国も、中国も、それぞれに独特な仕方ではあるが、 この軌跡を遅からず、追跡することになる。赤松教授のビジョンを「バージョン1・0」とすれば、この東アジア全体の人口・経済・制度の複合的動態を「雁行型バージョン2・0」と概念化することができよう。そこに、2つの重要な含みがある。

 一つは、人口成熟化フェーズにむけて日本が安定的に飛行を続けるのに不可欠であるが、まだ解けていない問題が浮き彫りとなる。すなわち、労働人口比安定化の時代に設計された年金、健康保険などの給付金制度は、もはや持続可能でない。その再設計が先送りされるならば、負担はますます若年世代に重くのしかかり、その働くインセンティブをそぐであろう。そうなれば、図の棒グラフは、将来ますます下方に引っ張られる。

 消費税の社会保障税化による給付金制度のオーバーホールは喫緊の課題であるが、これには退役、現役、若年の世代間の相互理解と利益調整が必要である。したがって、かつて支配的であった族政治家・官僚主導による経済的利益集団間の裁定や仕分け効率主義とは異なった政治的理念・公共精神と協調のメカニズムが必要だ。現在の政治的混迷はそういう成熟への過渡期の現象なのか。

 第二に、異なったフェーズを雁行型に飛行する日中韓のあいだの差異性は、潜在的な共同利益の源泉でもありうる。中国が差しかかる新しいフェーズへの飛行は、環境破壊やエネルギー使用の非効率性、都市・農村間の所得格差とユニバーサルな公共サービスの欠如、都市混雑現象など、高度成長の量的拡大がもたらしたひずみに対応することによって安定し得るだろう。

 他方、中国が工業労働生産性の向上をしばらくは継続的に発揮しうるとすると、労働人口比の減少する日本が従来型工業のワンセット維持によって比較優位性を保とうとするのは現実的でも、必要でもない。工業基地のグローバルな展開、工業力とサービス力の結合、安定成長フェーズで獲得した社会・経済的技術(環境、都市経営など)の一層の洗練に加え、人口成熟化のフェーズに固有の課題 (健康、介護、保育、生涯教育、科学技術、有機農業など)を解決する革新的な能力の開発が必要だ。

 かくして人口成熟化フェーズにむけて先行する経済(日本)の戦略と、安定成長フェーズむけて追行する経済(中国)の戦略のあいだには、相互支持の潜在性がある。すなわち、日本が人口成熟化フェーズの課題に集中して取り組むには、輸入や対外投資という形で、中国の工業生産性の成長に依存しうる部分が増える。一方、中国が累積した「成長の社会的費用」に対応するには、日本がすでに達成し、これから開発しうる社会・経済的な技術が役に立つ。

 異なった発展フェーズにある国々の発展戦略の有効性が、それぞれ他国の戦略的選択の如何(いかん)によって左右されるとき、それらの戦略は互いに補完的という。ゲーム理論的分析によれば、この戦略的補完性が存在するとき、それぞれの国が互いに「交換の利益」のモメンタム(弾み)を得ることができる。

 だが、何らかの出来事をきっかけとして、相互が不信に陥り、孤立主義的な戦略の応酬によって陰鬱な罠(わな)に陥ることもありうる。日本が雁行の先頭として生み出す革新を武器として、グローバルに戦略的補完性を活用していくには、移民の規制緩和や環太平洋経済連携協定(TPP)の創生に積極的に関与するなど、自らの国をいっそう開く覚悟が必要だ。未知の領域に孤独に突き進む雁は、失速してしまう。

 それぞれの国の戦略とは、単に政府の政策を意味するのではない。それは諸利益集団の私的利益や、人々の公民意識にもとづく、全国民の政治行動のベクトルから成る。来るべき雁行のフェーズの転移を安定させるように、それらを束ねることのできる政治的枠組みの進化がそれぞれの国に必要である。日本には、世代間の合意と一層の開国を先延ばし得る時間はもう限られている。それらの課題に本気で取り組み始めた時に、未知の領域に向けての飛行を先駆ける日本に、将来の希望が取り戻されるだろう。 

 

<2011年1月12日 掲載>

 

東アジアに相互補完の国際関係の大きな枠組みを!

この青木先生の論文は、東アジアの歴史の観点から、また、アメリカという大国の存在の観点からも、いろいろ考えさせられます。
戦前の日本が、中国や朝鮮半島を軍事力を背景とした植民地主義的な「権益」や「国防」の観点からしか見ることができなかった教訓を踏まえて、「交換の利益」に基づく「雁行」はどのような政治的・経済的・心理的な手順で進めていけばよいのか?また、戦後の冷戦時代から続いているアメリカへの追随的な日本の歩みは、それぞれの自発性からなっている「雁行」とは異質なものであり、アメリカとの関係で東アジアの「雁行」はどのような形になるのか?
青木先生は、「来るべき雁行のフェーズの転移を安定させるように、それらを束ねることのできる政治的枠組みの進化がそれぞれの国に必要である」と述べられておられますが、これは中国における政治的民主化等による制度的な変化が、雁行へ向けた「政治的枠組みの進化」には必要であるということでしょうか?東アジアは、EUのような政治的統合は近未来的には難しい気がします…。
日本にとっては、地理的に文化的に近い東アジアと制度的に近いアメリカとの共同市場を作っていくことが「TPP」や「開国」の目標だと思いますが、それと東アジアの「雁行」をどのように整合させていけばいいのか…重要で大きな課題が有るように思います。


注意:コメントは管理者の承認後表示されます。

新しいコメントの投稿

このフィールドの内容は非公開にされ、公表されることはありません。