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「家計金融資産『活用』論への違和感」(VCASIフェロー・慶応義塾大学教授 池尾和人)

 「家計金融資産『活用』論への違和感」

VCASIフェロー・慶応義塾大学教授 池尾和人

 VCASIフェローの池尾和人氏が『週刊東洋経済』2009.10.17号、「経済を見る眼」欄に寄稿いたしました。下記に、許可を得て、転載させていただきます。



  しばしば「わが国の強みは1400兆円にも及ぶ家計金融資産が存在することであり、それを経済成長のために有効活用すべきだ」といった見解が述べられることがある。しかし、筆者自身は、この種の見解には違和感がある。   というのもこうした見解は、他方でわが国には膨大な政府債務が存在していることを無視しているからである。換言すると、家計金融資産はすでに一定の用途に「活用」されているのであり、他の用途にそれを活用するためには現行の用途から解放してやらなければならない。
  日本銀行の資金循環統計によると、ざっくり言って、家計部門自身も住宅ローンなどの負債を約400兆円抱えているので、純資産は1000兆円ほどである。その半分の500兆円は一般政府の負債をファイナンスするのに使われている。残りのうち、概略で約300兆円が企業部門に投融資され、約200兆円が海外に投資されている。
  なお、一般政府の負債は1000兆円弱であるが、先の500兆円分以外は一般政府部門自身によって保有されている。ただしその原資は公的年金の積立金などであるので、間接的にはやはり家計部門がファイナンスしているといえる。
  われわれ個々人は国債を買っているつもりはなくても、銀行に預金したおカネで、銀行が国債を買っているので、家計の貯蓄は財政赤字の穴埋めに使われている。実質的に家計純金融資産の約5割が有効活用されずに、国債保有に充当されているがゆえに、GDPの二倍の政府債務を抱えていても「平穏無事」なのである。
  有効活用しようということで(あるいは老後の生活をまかなうために)、この分の家計金融資産が取り崩されだしたら、大変なことになる。その分の国債を代わりに保有してくれる者が見つからなければ、国債相場は暴落するしかなくなる。
  一人ひとりの個人にとっては、国債購入は貯蓄で、それを取り崩して自由に使うことができる。しかし、社会全体としてそうすることは不可能である。ある個人が取り崩せるのは、別の誰かがその分の国債を保有してくれる限りにおいてである。それゆえ社会の全員が一斉に取り崩して他の用途に使うことはできない。
  ところが、こうした個人の観点と社会の観点からの違いは、一般には正確に認識されていなくて、ある種の「財政錯覚」が存在しているとみられる。われわれの多くはおカネが貯まっていると思っているけれども、預けたおカネが確かに保管されていようと、実際はなくなってしまっていようとも、引き出そうとするまでは、その違いは分からない。
  要するに家計金融資産をネットでみて取り崩さざるを得なくなった時点で、これまで財政赤字を続けてきたことの帰結に日本人はいや応なしに直面せざるを得なくなる。そのときに財政赤字の穴埋めに使ってしまったおカネは、どこにも実は残っていないのだから、それをいかなる形であれ、使えるわけはないという不都合な真実を知ることになる。
  その日は、人口構成と貯蓄率の動向から判断して、それほど遠い将来ではないと予想される。高齢者世代が将来に不安を感じて金融資産の保有を続け、それを取り崩して消費に向けようとしないことは、その日を遠ざけている。しかし、その日が永久に来ないことはあり得ない。