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『ダイバーシティ』で伝えたかったのは思想:社会構造を変える科学と概念を求めて」(後半)


『ダイバーシティ』で伝えたかったのは思想
:社会構造を変える科学と概念を求めて」(後半)

 
語り手:山口一男 VCASIフェロー・シカゴ大学教授(社会学)
聞き手:成田悠輔(VCASI研究助手)

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[数学から社会学へ]

――ここからは、先生の個人史を中心に研究のバックグラウンドについてうかがいたいと思います。先生は学部時代を東京大学の数学科で過ごされたんですよね?

山口 そうです。ただ、私自身は社会の仕組みに興味がありました。ちょうど東大紛争時代だったこともあって、授業がないときには社会科学の本をずいぶん読み漁りましたね。それが最終的に社会学を選ぶきっかけになりました。
丸山真男など思想的なものもずいぶん読んで非常におもしろかったんですが、確率過程や確率論をやっていたものですから、科学的なもの、つまり事実があってそれに関する理論を実証するようなものを求めて、安田三郎の書いた『社会移動の研究』(東京大学出版会、1971年)という、社会移動が親子間の職業の差異にどのような影響を与えるかに関する本を読みました。彼はアメリカの一流雑誌に関連する論文を書いたのですが、安田の指数と呼ばれる社会移動に関する指数を提案し、データ分析を利用して社会移動にまつわるさまざまな概念を整理しようとする意欲作でした。それを読んで、あっ、こういうことなら僕も何かできるじゃないかなと思ったわけです。でも、当時は数学科から社会学科に大学院に行くという手段が全くありませんでした。

――受験できなかったのでしょうか?

山口 まるっきり別の分野の大学院に行ける体制がなかったんです。たとえば統計数理研究所には行けたんですが、そうすると完全な数理統計学者になってしまう。結局、統計学はあまりよくわからなかったんだけど、実際に調査してデータを整備し分析するらしいという非常にいい加減なイメージを持って総理府に入り、統計局を希望して配属されたわけです。その後、2年間だけ人事院の在外研修の機会をもらったときに、シカゴ大学のジェームズ・コールマン教授のところで学びたいと思いました。当時彼は確率過程を社会学にはじめて持ち込む仕事をしていました。幸い彼が自分の弟子にするから来ていいよという手紙をくれまして、喜び勇んでいきました。2年目に彼のセミナーで発表して、散々叩かれたりしたんですが(笑)、評価してくれた面もありました。

――コールマンはどのような問題を扱うために確率過程を社会学に応用していたのでしょうか?

山口 彼はね、おもしろいんですよ。パネルデータが全然ない時期に、ダイナミックなモデルを考えたんです。横断的に観察している状態が、ダイナミックなプロセスが均衡状態に達したときに観察されるものだと仮定した場合に何が言えるかという発想でした。そのモデルを分析するために確率過程を応用したのです。コールマンの問題意識は、横断データを単に変数間の関係や統計的発想では考えたくなかったという点にありました。こういう発想を社会学に持ち込んだのはコールマンがはじめてでしたね。その問題意識の延長線上で、のちにパネルデータが整備されはじめたときには、彼はいち早く飛びついたわけです。
ただ、確率微分方程式を使った上のようなモデル自体は必ずしも彼自身の独創ではなくて、環境学やエコロジーでも似たようなことが考えられてはいました。彼が新しかったのは、そういった考え方を社会科学に持ち込もうとしたことだと思います。当時は環境学でも、本当の調査データやプロセスのデータがないので、環境には相互依存があって、均衡に達するとこんなことが生まれる、あるいは周期的にこう変わる、そんなことを言っていただけですから。
あとで批判されたのは、ほとんどのプロセスは均衡状態がないかそこに行きつかないかので、均衡状態を仮定したモデルで、無理やり横断的なデータを分析、解釈しても無理があるという点でしたね。それから、あなたはゲーム理論を研究しているからおわかりだろうけど、そこに収斂する均衡というのは時と場合によって数も種類も変わることにも注意しなければならないですね。

――なるほど。そういった研究をしていたコールマンの下で二年間研究したのち、帰国されるわけですね。

山口 はい。帰国後は労働力統計課で就業構造基本調査や社会生活基本調査をやりました。社会生活基本調査は当時の調査が第1回で、タイムバジェットの分析をすることになった。私は標本抽出課長として標本設計をすることになりました。アメリカでいろいろと学んだこともあってかなり入り込んでやったんですね。ところが、その分析の成果はすべて内部資料になってしまった。その時に、単なる統計調査の専門家になってずっと過ごしていくのか、むしろ分析をして社会に何らかの意味のある結果を導く仕事をしたいのではないか、と自問してしまいました。それで結局、7年間在籍した総理府を辞め、ふたたび留学することにしたのです。
別のきっかけもありました。私は教育大附属高校を卒業したのですが、当時の友人の3人-岩井克人、奥野正寛、石川経夫の3君です-が全員東大経済学部に行って、全員留学して成功し、全員アメリカの大学の助教授になった。自分も彼らと同じように、アメリカで力を試したかった。そういうロールモデルが身近にいて、彼らもPh.Dを取って、いい大学の助教授になったから、自分も少し遅れているけど同じようにPh.Dを取って、がんばろうと思いました。日本には全くコネもありませんでしたしね。
ちなみに、3人の中で内容的な関心を最も共有していたのは、石川君ですね。残念なことに若くしてお亡りになってしまいましたが。個人的には、奥野君とは一緒に合唱部に所属していて親しく(笑)、岩井君とはその2人に比べると少し遠かったのが、いまは親しい友人になりました。

[人生をリセット アメリカへ]

 

――日本の社会学会とはまったく関係なく研究をはじめられたんですか?

山口 まったく関係ありませんでした。日本の社会に戻れる可能性はないから、向こうでがんばるしかないという状態でしたね。ただ、コールマンと、フィリップ・ハウザーという人口学の大御所がぜひこいと言ってくれました。それが第2の人生の出発ですね。人生のリセットです。1978年、32歳でした。
シカゴでPh.Dをとった直後に移ったコロンビア大学ではドラッグ問題を扱いました。若者のドラッグ問題は、普通のライフヒストリー上の問題、たとえば就業とかだいぶ違ったいろんな側面があります。たとえば進展するのに一つの系統的なパターンがある、などです。そこで、そういう側面を踏まえて、単にイベントがいつ起きるかだけではなく、どういうイベントの系列が一番起きやすいのかも併せて分析していくハザード率に基づくモデルをはじめて開発しました。最終的にドラッグから抜けていく人、深みにはまって最後にはヘロインを使って死んでしまう人、それぞれに固有の系列ですね。そのモデルを提案した一連の論文"Patterns of Drug Use from Adolescence to Young Adulthood "は「アメリカン・ジャーナル・オブ・パブリック・ヘルス」という、アメリカの公衆衛生関係の一番有名な雑誌にシリーズで掲載されまして、その分野の論文には必ず引用される一種のサイテーションクラシックになりました。
これまでドラッグ患者の進展の問題をハザード率で分析した前例がなかったと。実はこの論文を書いた経緯は、コロンビア大学ではデータを集めていながら、分析する人がいなかった、そこにたまたま分析方法を知っている私が行くことになったというものでした。一方の私はドラッグ問題についてはまったく知らなかったので、いいコラボレーションの結果ですね。  
それ以降ドラッグ問題をやりつづけました。その中で、たとえばドラッグの中でもマリファナは一種のサブカルチャー的背景を持っているので、ある文化やライフスタイルを持つ人と持たない人の人生はどう違ってくるか、ライフスタイルは環境によってどの程度変わりえるのか、といった一般的問題意識を持ちはじめたわけです。あとになって足を突っ込みはじめるWLB関係の研究にもつながる問題意識ですね。
結論からいうと、特にアメリカではライフスタイルはなかなか変わりにくく、いったん身につけると逸脱的なものであれ何であれ、かなり持続することがわかりました。たとえば日本は強烈な社会化の力があって。学生時代は自由にしていても、企業に入ると組織人間にさせられるみたいなところがありますよね。ですが、アメリカでは社会化の力は強くない。組織の引き締めも少ないですし、違うんだなあと思いましたね。
コロンビアの後、いくつかオファーがあったんですが、大都市だと日本食が食べられるという理由もあって(笑)、ロサンゼルスのUCLAへ移りました。UCLAでテニュア(終身雇用の身分)を取ってからは、自分の本当に好きな社会階層化の研究や分析方法の開発を中心にやっていました。

――博士課程から助教授をされていた期間の研究では、アメリカのデータを使っていたのでしょうか?

山口 そうです。実証研究をやってアメリカで生き残るためにはそこでの市場価値がないといけないと思いました。留学生は自分の国の研究をやりがちですね。自分の国に戻る人はいいんですが、それではアメリカでは就職できない。ものすごく新しい方法を開発して、その方法自体が斬新だということであれば、事情は違うでしょうが。アメリカはいい国で、アメリカ人でなくてもアメリカ研究をして、実証的にこうだと大きなことを言っても、ああ、そうかと聞いてくれるのです。事実があるかぎり話をちゃんと聞いてくれるというのは、いいですね。
日本研究を真剣にやりはじめたのは2002年にサバティカルで約1年間帰国し、一橋大学に滞在したときからです。たしかにアメリカでも日本社会論のような内容で教えてはいました。中根千枝、丸山真男、村上泰亮などいろんな人を採り上げました。ただ、それは日本人だから日本に関して何かをしたいという意識に根差していて、学問的な興味とは違っていたんです。とはいえ、その時に一般的で有名な文献だけではなく、実証的な文献も読み出していたのがその後役に立ちました。

――アメリカの学会で生き残るためにはアメリカのデータを使わないと難しいのは、研究資金を出している人たちから見て、たとえば日本のことだけを扱った実証研究はあまり興味を惹かないからでしょうか。

山口 研究資金も関係はあります。ですが、一番大きいのはそもそもアメリカの社会学会はある特定の地域研究には関心をもっていないという点です。ヨーロッパでも状況は同じです。アメリカ自身の研究は別として特定の他国の研究をやっているだけではどうしようもないとみんな思っているんですね。たとえば、オランダのユトレヒト大学に客員教授として6カ月いたことがあるですが、そこにはオランダの研究をしている社会学者すらいませんでした。ヨーロッパ諸国の比較研究が中心でした。地域研究が影響力を持たないのは経済学でも同じですね。

――先ほどコロンビアに行かれたときに、ドラッグ問題という当初予想してなかった対象に出会われたというお話を伺いました。それ以外に、大学から大学へと移っていく過程で、新たに大きな発見はありましたか?

山口 急に大きな新しい課題に出会うというのはありませんが、連続的に変わっていきました。コロンビア大学のときは、研究対象について全く知りませんでしたから、コラボレーションなしでは論文も出せない模索状態にありました。一方、UCLAに移ったときには自分の研究を進めることに邁進していて、あまり周囲の影響を受けなかった。シカゴ大学に戻って再び強い影響を受けたということになります。
周りの人たちの関心が移り変わっていくと、自分も何かできるのではないかという気になって自分なりの道を求めるようになる。学者にとって一番必要なのは周囲を見ながら、自分には何ができるかを考えることです。誰かの話を聞いて、おもしろいなと思ったときには、その考えを自分の問題に結びつけて、新しいことを生みだすように発想しようと心がけてきました。

――シカゴ大学に戻って受けた強い影響というのはどのようなものだったのでしょうか?

山口 私がシカゴ大学に戻ったときは、コールマンがまだ同僚で、共同でセミナーをしたり、ほとんど毎日のように話をしていました。大した話ではないんですが、彼の話は必ず仕事のことでした。会話は交換ですから、僕も今何を考えてるかを伝えなければならない。非常に刺激の多い毎日でしたね。彼が亡くなってからは、同じような意味で影響を受ける人はいなくなってしまいました。他の人のセミナーに出たり、自分でも一時セミナーをやったりしていろんな人に影響は受けてはいるけれど、コールマンほど影響を受けた人はいません。コールマンは社会学の中では経済学の発想に近く人々の合理的選択を仮定するのですが、類似の考え方については、ゲイリー・ベッカーやジェームズ・ヘックマンなど、経済学部の人たちからより大きな影響を受けました。

――ベッカーはいわば古い経済学の体現者ですね。今学生をしている僕の世代は、ゲーム理論や実験が支配的になった社会科学しか知らない世代なので、逆に新鮮に感じます。

山口 考えてみてください。たとえば、いわゆる双曲割引の理論は、ドラッグ患者の中毒を合理的に説明するために行動経済学で用いられていますよね。しかし、そのアイデアそのものはベッカーのフォーマルな理論から出てきてる。実のところ、ベッカーに代表される古典的な理論は、これを仮定するとこういった結論が出てくるという定式化の自由度が非常に高いんですね。一方で、たとえばゲーム理論はおもしろいんだけれども、分析が複雑でむずかしい。シミュレーションをしたところでどの程度妥当性があるかわからないしね。その上、ゲーム理論が対象としているゲームという発想には強い構造的制約が課せられている気がします。
ただ、自分は社会学者ですからベッカーやヘックマンとは少し違和感を持ちながら付き合っていて、それがよかったと思います。ものすごく偉い人たちですが、社会学者の自分は無理に合わせる必要はない。ともあれ、一番オリジナルな考えは、やはりそういうすごい人たちから生まれてくることが多くて、私のメンターであるコールマン、そしてベッカー、この二人はすごいですね。考えが速すぎてついていけない。彼らと会話しながら研究を進めてこられたのは本当に幸せだったと思います。

――長い時間、どうもありがとうございました。

山口 ずいぶんたくさんしゃべっちゃったから、まとめるのが大変ですね、これ(笑)。