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“政治主導”の意味をただせ ――権力、「抑制と均衡」が筋、野党の声 反映の仕組みを

“政治主導”の意味をただせ
――権力、「抑制と均衡」が筋、野党の声 反映の仕組みを

河野勝(VCASIフェロー、早稲田大学教授) 
 
   日経新聞朝刊2010年1月21日付「経済教室」にて、VCASIフェロー河野勝氏の原稿が掲載されました。下記に許可を経て転載させていただきます。

<ポイント>
  • 民主党、次世代指導者軸に古い体質自浄を
  • 事業仕分け、パフォーマンス批判は的外れ
  • 政治とカネ、政党との議論でルール作りを

 
  

 鳩山由紀夫政権と国民とのハネムーンが終わった。内閣支持率は低下し、メディアでも歯に衣(きぬ)を着せない批判が目立つ。筆者は、昨年9月8日付の本欄で、政権交代は「改革」の時代の到来を告げる快挙であったと指摘し、その時点での民主党への期待と注文を述べた。本稿では、その後の展開をふまえ、鳩山政権に対する評価を様々な角度から検討し、日本の民主主義にとっての政権交代の意義を考えたい。

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 鳩山政権への批判の多くは、政権交代で高まった期待と現実とのギャップから生じている。先の選挙で民主党に一票を投じた有権者は、新しい政権下で、自民党時代と異なる政治が実現されることを期待した。その点で最大の「期待はずれ」は、鳩山氏自身と小沢一郎幹事長という民主党のトップ2人が、旧態依然たる政治資金管理上の不備や偽装を露呈したことだ。特に小沢氏の元秘書だった現職職員らの逮捕を機に、鳩山政権は発足以来最大の危機に直面している。
 内閣支持率だけでなく民主党自体の支持率も下がる気配の中、有権者の多くは、それでもなお頂点を極めたこの2人に代わり、よりクリーンな次世代のリーダーたちが将来を切り開いてくれるとの期待を何とかつないでいるようにも見える。だがもしその期待をも裏切り、政治とカネを巡る古い体質を自浄できなければ、有権者は躊躇なく民主党を見限るであろう。そのとき、日本の政治は大混乱に陥ることになる。
 もう一つの厳しい批判は、「マニフェスト(政権公約)違反」に向けられている。マニフェストは有権者との大事な約束で、野党に回った自民党や公明党などが暫定税率維持をはじめとする「違反」を挙げて鳩山政権を批判するのは、きわめて正当である。
 ただ、鳩山政権は無垢のキャンバスではなく、50年にわたる自民党政権の負債の上に成立している。マニフェスト違反の原因が財源不足にあるなら、その責任すべてを今の政権に負わせるのは不公平だろう。マニフェストが作られた野党時代の民主党の見通しが甘かった面は多分にあるにせよ、その批判はたちまち自民党に倍返しとなって跳ね返る。なぜなら自民党こそ財政赤字をここまで膨らませた張本人だからだ。長年与党でありながら歳入を甘く見積もり、毎年秋に補正予算を恒例化させたことは計画性や予測能力の欠如を意味するといわれても仕方あるまい。

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 事業仕分けはそのように長期にわたって行政、経済、社会の末端にまで染み込んだ借金体質や公金依存体質を変えようとする試みだった。それが世論調査などで国民に高く評価されたのは、まさに、過去からの負の遺産を整理して、新しい時代へと向かうことを予感させたからである。
 事業仕分けには、実質を伴わないパフォーマンスにすぎないとの批判も多い。だが、民主主義の下でのパフォーマンスは、有権者にその評価が委ねられるのなら、むしろ奨励されるべきものだ。とりわけ変革を担おうとする新しい政権は、たとえその一部であっても可能な限り変革のプロセスを透明性をもって有権者に説明する責任を負っている。
 また事業仕分けは、重要な成果ももたらした。確かに獲得財源は1兆円にも満たなかったが、だからこそ、この作業は国民心理に一つのパラダイムシフトを起こした。すなわち、それまで我々は、日本の膨大な財政赤字は膨大なムダがあるから存在するのだろうと、心のどこかで信じていた。だが大々的な報道を通じ、国民はムダを一掃してもなお巨額の赤字が残るかもしれないと実感できるようになった。この国民心理の変化は、例えば将来消費税率を引き上げるために、不可欠な政治的条件となろう。
 鳩山首相のリーダーシップへの批判にも触れておこう。これは、とりわけ普天間基地問題を巡る「迷走」によって高まったが、この件は鳩山政権が民主党単独の政権でない点も考慮する必要がある。
 連立維持のマネジメントとして、同基地の県外・国外移設を(民主党以上に)強く主張する連立パートナーに配慮するのは当然だ。したがって、ここでの批判は、リーダーシップの欠如以上に、政治的手腕の欠如に対して向けられるべきであろう。つまり、政治的に周到に立ち回れば、「迷走」の責任を社民党により多く負わせるような演出もできたはずだからである。
 さて最後に、これまで正面から論じられてこなかった点を提起したい。それは、民主党が自らの政治的使命の核心ととらえている「政治主導」についてである。この概念は政治的にも、また政治学的にもナンセンスであり、筆者は、それを指摘することこそ、鳩山政権の評価や政権交代の意義を理解する上で、いま最も重要だと考える。
 「政治主導」は、「官僚主導」への対置として生まれてきた概念だと思われるが、問題は、官僚の代わりに「誰」が主導するのか、正体が明確に特定されていないことだ。もし政治主導が「政治家」主導を意味するのなら、いわゆる族議員たちが暗躍した自民党時代もその典型だったということになってしまう。
 他方、個々の政治家ではなく、民主党という「政党」主導を意味するなら、イメージされる政治のあり方は当然ながら違ってくる。前者だと陳情処理や政策立案で、それぞれの議員が高い自由度をもつ状況が想定されるが、後者は例えば豪腕な幹事長がそれらの機能を集中的に担う状況も正当化されることになる。いずれにせよ、政治主導なる概念はあいまいで、それ自体は意味をなさない。ちなみに、政治主導は英語に翻訳できない。筆者が尋ねた複数の外国人の研究者は「どう訳すかは文脈による」と口をそろえた。
 政治主導とは「内閣」主導だという理解もある。ただ民主党は「政府と与党の一体化」というスローガンも同時に掲げている。とすれば、(内閣のみならず官僚組織も含めた)「政府」と議会において圧倒的多数を握る「与党」民主党とが、まさに一枚岩で政治を行うことが政治主導だと解釈しなければならなくなる。事実、一部の識者は、そうした政治の進め方を英国型の議院内閣制の理想として称賛している。だがもしそれが民主党の描く究極の政治主導ならば、筆者は支持できない。前回の本欄でも指摘したように、日本の統治構造は憲法上も権力の集中ではなく権力の分立を基本理念としており、強大な権力に対しては「抑制と均衡」が担保されるべきだと考えるからである。

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  選挙に勝った多数派がすべての政治権力を行使するのが民主主義の本旨だ、という議論をよく耳にする。一見正論に聞こえるが、実はそうした議論こそ、時間を超えて民主主義が成熟していくことを阻害する考え方である。なぜなら、その考え方に従えば、選挙に敗れた野党は政治的に無力であるほどよいことになり、そうであれば支持団体も個々の政治家も、選挙後こぞって勝利した与党へくら替えするインセンティブ(誘因)を抑えられない。選挙結果に応じて都合よく多数派への迎合が続く政治状況では、明確なアイデンティティーを持つ政党や安定した政党システムが草の根レベルから支えられて育成されることは望めない。
 筆者は、昨年政権交代を賭して一票を投じた有権者は、民主党政権の誕生だけでなく、日本の民主主義のさらなる発展を願ってそうしたのだと信じる。成熟した民主主義では、勝利した与党多数派のみならず、負けた側の野党少数派にも一定の政治的役割が期待される規範と手順がシステムとして確立していることが求められる。例えば、今国会の焦点となる政治とカネを巡るルールは、民主主義が健全に機能するために不可欠なものだが、それを野党からのインプットなしに作ったのでは信頼されるわけはない。
 自民党族議員や民主党幹事長室だけが「国民の要望」を吸い上げるのではなく、与党と野党がそれぞれの役割に応じて議会全体として民意を実現する政治こそ、唯一あるべき「政治主導」の姿だと、筆者は考えるのである。■

鳩山政権の暫定評価
  • 旧来型政治を変革しようとする意気込みは強く
  • 経験不足からくる政治手腕の未熟さは否めず
今後の焦点
  • 次世代リーダーの構想力、実行力、政治的野心
  • 国会を重視する民主主義的規範と手順の再構築
政治とカネ
  • 「知らなかった」や「計算ミス」では説明にならず
  • 鳩山政権だけでなく政治全体の行方を左右する試金石