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行動経済学「『ゲーム理論』で読むバブル経済」(VCASIフェロー、政策研究大学院大助教授・安田洋祐)

 7月14日より数回にわたって、VCASIフェロー安田 洋祐氏のコラムが、日経新聞に掲載されました。
 許可を得て、下記に転載いたします。

[1] 繰り返すバブル
 
 サブプライムショックに端を発する世界的な金融危機により、市場メカニズムに対する信頼が揺らぎ始めている。信頼低下の大きな要因のひとつとして、資産市場の異常なまでの不安定さをあげることができよう。株式や債券などの金融資産に始まり、昨今ではありとあらゆる資産市場が乱高下を繰り返しているかのようだ。資産市場が高騰、あるいは暴落した例は数多く知られている。この20年ほどを振り返っても、日本が1980年代から90年代初頭にかけて経験した土地・資産バブル、90年代後半にアジア各国を襲った通貨危機、2000年前後に世界的な広がりを見せたITバブル、今回のサブプライムショック以前のアメリカ経済を席巻した“根拠なき熱狂”など、枚挙にいとまがない。
 
 もちろん、資産価格の急激な変動そのものが問題かどうかについては慎重な議論が必要だ。実体経済の動きや需給を反映して、適切に価格調整が行われているのであれば、乱高下はやむを得ないという見方もできる。その一方、一部メディアや識者が指摘するように、経済活動からかけ離れたあくなきマネーゲームが市場の調整機能を損なっているとすれば急いで問題解決を図る必要がある。真に問題視されるべきなのは後者に代表されるバブル、実体(「ファンダメンタルズ」と呼ばれる)を反映していない価格の乱高下である。
 
 過去に幾度となく生じたバブルとその崩壊が現実経済に及ばした影響の大きさを振り返れば明らかなように、現実のどの市場でバブルが発生している(いた)のかどうか、発生している(いた)とすればなぜ発生したのか、バブルを生み出さないためにどのような政策が有効なのか、といったバブルを巡る分析は、現代経済の安定性や市場の機能を理解する上で必要不可欠な研究といえるだろう。
 
 では、今まで研究はどの程度の成果をあげてきたのだろうか。実は、バブル現象が古くから知られていたのとは対照的に、バブルに関する経済学的な理解や洞察は近年までほとんど得られていなかった。この閉塞(へいそく)的な状況を打ち破り、バブル研究に新しい息吹をもたらしたのが、本連載で紹介するゲーム理論に基づくアプローチである。


 
[2] 説明の難しさの原因
 
 
 バブル問題に限らず、経済学の研究は主に実証研究と理論研究に大きく分かれる。前者が観測されたデータをもとに仮説の検証や未知の数値の推定、将来の帰納的な予測等を行う一方、後者はいくつかの仮定に立脚した数理モデルを用いて演繹(えんえき)的に結論を導きだし、現実の説明や望ましい行動規範の解明を試みる。
 
 バブル分析の文脈でいうと、過去の市場データをもとにバブルの有無やその大きさなどを検証するのが実証研究、なぜバブルが発生するのかを理論的に解明するのが理論研究となる。前回触れたように、バブルの存在は実証的にも理論的にも明らかにするのが難しい問題であることが知られている。以下ではそれぞれの研究アプローチで何がバブルの説明を難しくしているのかを簡単に紹介したい。
 
 実証研究における最大の困難は、ファンダメンタルズを直接観測することができない、というデータ上の制約である。ある資産価格がバブルであるかどうかは、市場価格がその資産のファンダメンタルズから乖離(かいり)しているかどうかで判定される。しかし、実際に観測できるのは市場価格だけで、ファンダメンタルズについては推定しなければならない。これは、推定値によってはいかなる水準の資産価格もバブルでない(である)と結論付けることが可能なことを意味する。
 
 市場価格とファンダメンタルズの乖離を直接調べるのではなく、現実の価格変動の大きさから間接的にバブルの存在を検証するような研究も行われている。市場価格のブレが大きすぎる場合には、動きが比較的安定しているファンダメンタルズに基づいた価格調整とはいえないため、バブルと判定できるという理屈である。しかし、ファンダメンタルズのブレが本当に安定しているかどうかについても検証が不可能な場合が多い、表面的な問題のやさしさとは異なり、データからバブルの存在を議論するのは極めて難しい。
 
 理論研究も、実証研究と同様にバブルの扱いには手をこまぬいてきた。ファンダメンタルズは、たとえ転売が出来ずに長期保有したとしても平均的には損得が生じない価格水準と解釈することができる。もしバブルが発生しているとすると、市場価格がこの長期的なアンカーから外れて割高になっていることを意味するが、どうしてそうした割高な価格が維持されるのかを説明するのは、簡単そうだが実は以外に難しい。投資家が合理的であれば、割高な資産を買おうとはしなかいからだ。


[3] 説明できない安定性
 
 
 バブルの存在を理論的に導くには、割高な資産価格が市場でなぜ維持されるのかをきちんと解き明かさなければならない。このためには、投資家が割高な資産を買おうとする特殊な状況に注目する(合理的バブルの理論)、割高かどうかの見方が投資家の間で異なる(情報の非対称性)、そもそも非合理な投資家が多数存在する(行動経済学)――などのやや込み入った説明が必要となってくる。
 
 バブルの理論としても歴史が古い合理的バブル理論は、時間を通じて裁定条件を満たす(さや取りでもうけることができない)ように資産価格が推移するならば、必ずしも価格水準がファンダメンタルズに一致するとは限らないことを明らかにした。これは、非合理的な投資家や投資家の持つ情報の違いといった複雑な要素を取り入れることなく、バブルの存在を議論できる便利な理論である一方、長期的に維持不可能なバブルがなぜ存在し続けるのかを、きちんと投資家のミクロ的な視点から説明できていないという致命的な弱点を抱えている。バブル現象をより深く理解するには、他の理論による補完的な説明が欠かせない。
 
 それでは、心理学や脳科学で得られる知見をいかして、非合理な経済を明示的に分析する行動経済学のアプローチはどうだろうか。なるほど、与えられた情報をもとに将来の期待利回りを計算して、最適にポートフォリオを組む合理的な投資家とは異なり、非合理な投資を仮定すれば、割高な資産を買い続けるバブル現象をうまく説明できるかもしれない。しかし、この行動経済学のアプローチも次のような深刻な問題を抱えている。
 
 非合理な投資家が存在する場合に、合理的な投資家は何を考えるだろうか。割高な資産を買ってくれる非合理な投資家がいるとすれば、彼らに割高な資産を売ることによって、合理的な投資家はもうけることができる。結果として、価格はファンダメンタルズに戻るように調整されるだろう。行動経済学のアプローチでは、合理的な投資家によるこうした売買に何らかの制約がない限り、バブルが安定して存在することを説明できない。
 
 結局、行動経済学を用いて現実的な投資家像を想定しても、合理的な投資家の行動に対する十分な理解なくしては、バブルをきちんと説明することはできないことが分かった。次回はこの合理的な投資家の行動を理解する上で重要な役割を担う、情報の非対称性について詳しく取り上げる。


[4] 鍵握る情報の非対称性
 
 
 「情報の非対称性」の考え方は、2001年にアカロフ、スペンス、スティグリッツの3氏がノーベル経済学賞を受賞したことで一般にも広まったため、ご存知の方も多いだろう。経済主体の間で情報が偏在している場合には、アドバースセレクション(逆選択)やモラルハザードなど、伝統的な経済学で扱うことのできなかった様々な「市場の失敗」が発生することが知られている。資産市場においても、一般に投資家の受け取る情報は均一ではないため、情報の非対称性が市場に重大な影響を及ぼす可能性があるといえる。
 
 一見すると、投資家が異なる情報に基づき売買を行えば、将来に対する予想の違いから、投機的な投資を生み、それがバブルをもたらすことを簡単に説明できるように思われる。しかし、以下で述べるように、単に情報の非対称性が存在するだけでは、バブルはもちろん投機的な投資がなぜ起こるのかでさえ、実は説明することが難しい。
 
 投機的な投資を拒む第一の要因は、効率市場仮説と呼ばれる市場に対する見方である。この仮説は、市場は平均的には正しい予想を形成しており、仮にファンダメンタルズからの乖離(かいり)を示唆する情報を特定の投資家が得たとしても、取引を通じてすぐに市場価格に織り込まれてしまうため、投機的な投資が持続することはない、と主張する。市場価格がファンダメンタルズから離れるのは一時的ないしは限定的な状況というわけだ。
 
 効率市場仮説よりもさらに厳密なミクロ的な立場から、合理的な投資家の間では投機的な取引自体が一切起こり得ないと主張するドラスチックな定理(不可能性定理=No Trade Theoremと呼ばれる)も知られている。この定理は、私的情報を入手した投資家が売買によって儲(もう)けようとしても、その行動を通じて情報が取引相手に間接的に伝わってしまい、結局は儲けの生じない水準にまで価格が調整されるため取引自体が生じない、と主張する。現実には、文字通り不可能性定理が当てはまるような状況は限定されているが、“うまい儲け話はない”と投資家が慎重に構えることにより取引が行われない、といった状況は、この定理の世界に近いといえるかもしれない。
 
このように、情報の非対称性を導入しただけでは、残念ながら簡単にはバブルを説明することができない。投機の可能性やバブルの存在を導くためには、次回以降で紹介するさらなる説明が必要となってくるのである。


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