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「多様性から生きる力を教えられる二つの物語」

多様性から生きる力を
教えられる2つの物語


『ダイバーシティ:生きる力を学ぶ物語』
山口一男著,挿絵:森妙子   東洋経済新報社(2008).
 

評者:瀧澤弘和(VCASIフェロー、中央大学准教授)

『ダイバーシティ:生きる力を学ぶ物語』
山口一男著、森妙子挿絵、
東洋経済新報社、2008年

本書はシカゴ大学教授でVCASIのフェローでもある山口一男氏による2つの文学作品から成り立っている。
一つ目の作品は、「六つボタンのミナとカズの魔法使い ---社会科学的ファンタジー」と題され、理知的で賢いが、傷つきやすい性格の少女ミナがカズという魔法使いの住む「謎の島」へ一人で出かけてゆき、そこでさまざまな経験をして成長を遂げていく物語である。
二つ目の作品は「ライオンと鼠---教育劇・日米規範文化比較論」という物語で筆者の大学での授業が素材となっている。 それぞれの物語に対して、その社会科学的な背景が著者自身によって解説されている。著者は、これら両方の作品は補完的なもので、これらを通じてダイバーシティ(多様性)の重要性を訴えたいとしている。

山口一男:シカゴ大学教授(専門は社会学)
概要

  一つ目の物語、「六つボタンのミナとカズの魔法使い」で中心的な役割を担っているのは、ミナの星で生まれた人が誰でも一生まとうことになる特別な洋服と、その洋服についている7つボタンである。それらは個々人の生れもった性格(nature)と育ち(nurture)の両方を反映する象徴であるように思われる。この服は生まれてくるときに親から授かり、脱ぎ着はできないが成長とともに変化する。また、7つボタンに与えられた意味が、服の主の力や性格を表わしている.このうち7つ目のボタンは「陽気のボタン」で、「このボタンが大きい人は明るい性格で、悲しいことや辛いことも前向きに受け止めて行きていく力がある」。ミナの洋服には、その7つ目のボタンが欠けていた。

他の子供たちに「六つボタンのミナ」といじめられ心に傷を持っていたミナは、北の海の 「謎の島」に住む「カズの魔法使い」は、一つだけならどんな望みでも叶えてくれると聞き、7つめのボタンを授けてもらうためにカズに会いに行くことを決心する。こうしてミナは勉強して航海士の免状を獲得し、ひとり北の海へと乗り出すのである.

この謎の島には多様性(ダイバーシティ)に満ちており、6つ目のボタンが青い正直者と、赤い嘘つきなど、変った人たちも多く住んでいる。ミナはここで様々な人と出会い、あるときは一人で、またある時はこれらの人々と一緒に悩み、問題解決していくことで成長を遂げていく。興味深いのは、多様性のあるこの島では、誰もミナに7つ目のボタンが欠けていることを指摘しない点である。

 

 ミナが直面し解決していく問題には、それぞれ論理学や数学、そして社会科学の重要な問題が対応している。社会科学的概念としては「囚人のジレンマ」、「共有知の悲劇」「予言の自己成就」「アイデンティティ」「ダイバーシティ」「カントの道徳哲学」「規範と自由」「統計の選択バイアス」「事後確率」がある。詳細については本文にあたっていただきたい。

 これは文学的であると同時に教育的な作品でもある。評者はこの作品を大学のゼミで学部生に読ませ、ともに議論した。そこで発見したのは、本作品が文学として十分な深みを持ち、読み手に様々な解釈をもたらし、思考を喚起する力を持っているということである。ある学生は島の人々の多様性や、ミナに欠落している7つめのボタンに言及しないという事実が持つ重要性を指摘した。別の学生は、ミナの、社会を見る目が変化するプロセスについて独自の解釈を披露した。

この作品はまた、著者の人間、社会、そして人生に対する優しい思いが込められており、その意味でも非常に教育的である。心に傷を持ったミナが、カズに会って7つめのボタンを獲得することを心の拠り所の一つとしていなかったら、その後の冒険をすることもなかっただろう。彼女が人生のさまざまな不測の経験を通して、社会を見る目と自分を見る目を養い、勇気をもって生きる力を獲得していくというストーリーに著者の思いを読み取ることができるのである。

 

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 後半の「ライオンと鼠---教育劇・日米規範文化比較論」は、著者がシカゴ大学で行ってきた授業の様子を「教育劇」として描いたものである.

採り上げられる素材は、イソップ童話の「ライオンと鼠」のアメリカ版と日本版で、いずれも、「眠っているライオンの背中に駆け上がったねずみがライオンに捉まってしまうものの、最終的にはライオンに放免され、後日、逆にライオンを助ける」という内容は共通している。しかし、なぜ鼠がライオンの背中に駆け上がることになったのか、ライオンにどのようにして助けられたのか、なぜ鼠がライオンを助けるのか等々の描写において日米で詳細が異なっている。この相違点は日米の社会の相違からどのように捉えられるのか、何に起因するかということを巡って授業の中で議論が展開されるのである。授業ではまた、現代アメリカの「ライオンと鼠」と現代日本の若者版の「ライオンと鼠」が創作され、議論されている。筆者は全体を通して、多様性を尊重する規範を達成することの必要性を訴えている。

 この作品の魅力はしかし、その内容だけでなく、教師としての著者と多様な個性を持つ学生たちが、自由に思考を展開して社会の問題に迫っていくプロセスそのものにある。議論の展開自体が劇としての性格を帯びているのである。評者はこの作品を読んだとき、否応なしにプラトンの対話篇を想起させられた。プラトンの対話篇がソクラテスという中心人物の思想を中心として展開するのに対して、本作品では個性豊かな学生一人ひとりが活躍して議論を実質的に深めているという相違点はもちろんある。しかし、ここで展開されているのは、まさに「同時代」の対話篇である。プラトンの対話篇をその時代の人々が読むときには、現代に生きるわれわれには得られない共通知識を前提としていただろう。本作品においては、議論のテーマが同時代に生きる読者にとって関心の高いものであるうえ、議論のプロセスの中で提供される研究成果も最新のものである。本作品をわれわれが読むとき,同時代でプラトンの対話篇を読んだ読者と同じ醍醐味を味わうことができるのである。