Language: 日本語 English

「仕切り」が生み出す「矛盾」;『心の先史時代』

「仕切り」が生み出す「矛盾」
" The Prehistory of the Mind: A Search for the Origin of Art, Religion, and Science. " Steven Mithen, Harvard University Press, 1996.
(『心の先史時代』スティーブン・ミズン著 松浦俊輔・牧野美沙緒訳 青土社)


評者:瀧澤弘和(多摩大学、東京財団、VCASIリサーチ・コーディネーター)

" The Prehistory of the Mind: A Search for the Origin of Art, Religion, and Science. " Steven Mithen,
Harvard University Press, 1996.
(『心の先史時代』スティーブン・ミズン著 松浦俊輔・牧野美沙緒訳 青土社)

 本書は,最近の心理学と発達心理学の成果を借り,それを急速に新発見が蓄積されつつある考古学の知見と組み合わせて,人間の心の進化を辿ろうとする認知考古学の書である.より最近の人類の心をテーマとしたものとしては,ジュリアン・ジェーンズの『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』がある.以下の説明を読めばわかるように,本書で提示される図式化は過度な単純化ではないかという疑いを抱かせるものの,基本的に間違っていないだろうと思わせるような説得力がある.ただし,ミズンの本が書かれたのは1996年のことであり,同書に触れられていない重要な考古学的発見もある(たとえば,トゥーマイの発見など)ことに注意すべきである.

仮説の設定

 ミズンはこの壮大な旅を1980年代から90年代にかけての心理学や発達心理学の研究のサーベイから始める.心理学の文献で主に取り上げられているのは,フォーダー,ガードナー,コスミデス=トゥービーの進化心理学である.これら3つの議論はいずれも,心の少なくとも一部が何らかのモジュールから構成されているという共通点を持つ.しかし,心の中にモジュールと別個の中枢系の存在を認めるのか(フォーダーは認め,後二者は認めない),モジュールの部分は知能にかかわるような高度な機能を持つのか(フォーダーは否定し,後二者は認める),モジュールは生得的なのか,文化や個々人の経験の影響を受けるのか (ガードナーは文化の影響を認めるが,コスミデス=トゥービーは認めない)といった観点で,異なる特徴づけを持つことが議論される.

 ミズンにとって特に重要なのは,このうち進化心理学である.1990 年代にコスミデス=トゥービーらによって展開された進化心理学によれば,人間の心は旧石器時代の環境での選択圧の中で形成され,特定目的のために専門的に分割された生得的知能(モジュール)から成る.これは知能としての機能を持つ一方で,生得的に配線された進化の産物であり,文化の影響は受けない.また,これらのモジュールはcontent-richであり,問題解決のための必要な情報も提供している.しかしミズンは,われわれの思考において顕著に観察されるのは,類推やメタファーを用いることに対する好みであり,それは適応上の問題ごとに特定の解決法がモジュールとして提供されるということでは説明できないと論じる.そこで,ミズンは次に発達心理学のサーベイに目を向ける.

 発達心理学的データは,幼児が言語,心理,物理,生物という4つの領域の行動において,世界についての直観的知識を心の中に配線されて生まれるという進化心理学の議論をサポートしているように思える.しかし,それを詳細に吟味してみると,人間の心が3つの段階を通して発達しているという視野が開けてくる.発達心理学者のグリーンフィールドによれば,2歳になる前のごく幼い子供の心は汎用学習プログラムのようなものであり,モジュール化はその後に生じると主張している.カーロフ=スミスもモジュール化が発達の途上で生じてくることに同意したうえで,これらのモジュールは認知領域の発達の始動装置の役割を果たすだけであり,発達初期の脳の可塑性のおかげで,いくつかの回路が領域固有の計算のために徐々に選択されていくと論じる.このため,モジュールの種類に文化的,人的な差異が生じることになる.また,モジュール化が生じてまもなく,モジュールは一体となって動き始め,特定の目的や領域を超えた知識を形成できるようになる.カーロフ=スミスはこれを「表象の書き直し」と呼ぶ.これと似た考え方は,ケアリーとスペルクによっても唱えられており,人間の幼児には普遍的な知識の初期システムがひとそろい備わっているものの,「これらのシステムは発達と学習の過程を経るうちに自然発生的にひっくりかえされ,子供も大人も,複数の知識システムにわたる地図を構築」するという.

 これらの理論の比較検討からミズンは,人間の心はスイス・アーミー・ ナイフ的な構成を持つだけでなく,各モジュールの領域の壁に穴を開けて,それらの間で知識が流れるようにし,心のいろいろな部分で再現できるようにする機 能が備わっていると結論づける.

 人間の心の発達において,上記の3つの部分が順次現われてくるという事実は,人間の進化においても,これら脳の3つの部分が順次進化してきたのではないかという推測をもたらす.ミズンのアイデアの根本を支えるのは,このような「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説である.かくしてミズンは,人間の心の進化が以下の3つの段階を通して起こってきたという仮説を述べる.

第1期:汎用知能の領域に支配される心の段階で,心はひとそろいの汎用学 習・意思決定規則を持っているだけである.

第2期:他の領域と独立に動作する,特定の行動領域専用の特化した複数の 知能によって汎用知能が補足されている段階.

第3期:複数の特化した知能が一体になって動いているように見える段階. 知識や観念が行動の領域間で融通される.

 これらはそれぞれ,2歳以前の幼児の汎領域的な学習過程(第1期),領域固有の思考や知識のモジュール化の段階(第2期),カーロフ=スミスの「表象の書き直し」の段階(第3期)に対応している.第3期における心の状態は,ミズン自身の言葉では,本書全体を通して「認知的流動性」と表現される.

考古学との結合

 この後,ミズンは現在利用可能な考古学的データをフル動員して,上記 の仮説を実証しようとする.より具体的に考古学的な年代との関係では,上の仮説は次のように豊富化される.

 600 万年前から450万年前:ミズンは,チンパンジーを人類最初期 の先祖の似姿として用い,その知能から類推して,600万年前の共通祖先の心の基本構造は,第1期と第2期の境目にあると結論づける.すなわち,強力な一般的知能を持つ一方で,社会的知能という特化したモジュールが存在し,その他に資源分布に関する大きなデータベースを構築するのに用いられるいくつかの心のモジュールが存在している状況である.

 450 万年前から180万年前:前半には,アウストラロピテクス・ラミドゥス,アウストラトピテクス・アナメンシス,アウストラロピテクス・アファレンシスといったアウストラロピテクス属が登場し,後半の200万年前頃に最初のホモ属が登場する.初期のホモ属をまとめてホモ・ハビリスと呼ぶことにすると,その心は共通祖先以上に洗練さていたわけではない.しかし,一般的知能が強化され,社会的知能がさらに発達していた.また,オルドヴァイ石器の制作に見られるように技術的知能や博物的知能というモジュールが見え始めたものの,まだ十分に発達しておらず,一般的知能が主要な役割を担っていたと結論づける.

 180 万年前から10万年前:180万年前にホモ・エレクトゥスが登 場し,140万年前に握斧が現われる.その後,50万年前から20万年前にかけて,脳が急速に大きくなり,現代人類の脳にほぼ相当する大きさになる.この時期に登場したホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・ネアンデルターレンシスを一括して初期人類と呼ぶ.これら初期人類の心は,社会的知能の周辺に言語能力という新たなモジュールが形成され,この両者の間には相互作用があったし,それが脳の急拡大に反映した.しかし,言語は社会的知能の領域にかかわる領域での使用に限られていた可能性が高い.また,博物的知能と技術知能にかかわるモジュールが形成された.しかし,これらのように,特定の行動領域に当てられる多様な知能の間には相互作用はなかった.意識のうち,高次の「反省的意識」(自分の心の状態について論理的に考えたり反省したりすることにかかわる意識)は社会的知能に関わる思考には存在していたが,技術的知能,博物的知能にかかわる思考には存在していなかったと結論づける.

 10 万年前から現在:10万年前にホモ・サピエンスが登場する.約6 万年前の「中部/上部旧石器時代の移行」期に文化が爆発的に開花するが,これは社会的知能,技術的知能,博物的知能の壁に大きな穴があき,認知的流動性のある心が現れたことによって説明できる.芸術,宗教,科学には,異なる領域における知識の間の相互作用が不可欠だからである.

コメント

 第1.ミズンの論証の中で大きなウェイトを占めるのは,人間の化石と 人工物(石器など)から人間の心のあり方を推論するという方法である.アンディ・クラークがBeing Thereで言っているように,人間の脳の活動は(身体や)環境と切っても切れない関係にあるのだから,人間の心の歴史と(ハードなものとソフトなものの両方の)人工物や環境の歴史とは切っても切れない関係にあると考えられるから,それは自然なアプローチといえよう.しかし,本書で示唆されている回答は,クラークが示唆している回答ほど単純ではない.クラークによれば,人間の脳はチンパンジーなどとそれほど大きく違わないもの,人間は環境を創り出し,そこに情報負荷をオフロードするのが上手い存在であるとされる.また,人間の脳が言語を持つように進化したというよりも,言語が人間の脳に適合する方向性を強調する.しかし本書を読むと,ことはそれほど極端ではないという印象を持つ.ひとつには,農耕の始まりのように,自然環境・気候環境が人間の営みの変化に与えた影響の大きさである.もう一つは,やはり脳の進化が異なる人工物を生み出して行ったという方向もかなり重要なのではないかという印象を受けることである.

 人工物と人間との関係という観点から見るとき,本書の中でもう一つ興味深い点は,複雑化する社会関係が心の進化に与えた影響である.明らかに社会関係はソフトな人工物である.本書においては,有名なハンフリーの議論がたびたび援用されている.それは,他人の行動を予測する能力が選択上有利であったことから,自分の心を他者の心のモデルとして使えるために意識が進化したというものである.この点に関する記述は,さらに他のソフトな人工物=制度に広げた場合,それらが心の進化とどのように結びついているのかに関する興味を喚起するものである.たとえば,交換や市場取引はいつ頃発生し,それは心の進化とどのように関わっていたのだろうかという問いである.しかし,ソフトな人工物に関しては考古学的証拠が得にくいので,論証が難しいのかもしれない.

 第 2.心理学と発達心理学の知見を考古学的証拠と突き合わせるという本書の企図は,単に一方向の応用にとどまらない可能性があるかもしれない.本書では,ホモ・ネアンデルターレンシスのような初期人類に見られた知能の領域間の仕切り(本書の言葉では「壁」)の強さが強調され,その後,この壁に穴があくこと(「認知的流動性」)によって現在の人類は科学を持つようになったと主張される.しかし,その転換が重要であることを100パーセント認めたとしても,実のところ,現代に生きるわれわれもまたかなりの程度「仕切り」を持って思考しているのではないかという疑問も湧いてくる.

 たとえば,われわれ人間は,ある時には動物をかわいがりながら,平気でそれを食べたりする.また,人を殺してはならないという宗教的教えを信じながら,戦争を行い,人を殺している.通常,われわれはこうした「矛盾」を状況や文脈の違いに起因するものなので矛盾ではないと考え,人間はコンピュータと異なり,こうした状況や文脈の相違を判断できる「高度な知性」を備えていると考えている.しかし,状況や文脈の違いは,われわれが自然に設定してしまっている「仕切り」であり,ネアンデルタール人が自然的なものと人間とを区別し,それらの領域間において知識をインタラクトしていなかったことと同様であるとはいえないのだろうか.

 同じことを言い換えてみる.フォーダーの『精神のモジュール形式』以降,モジュールという概念で心を捉 える試みが繰り返されているが,最近の経営学・経済学でも(製品,組織,産業などの)モジュール化をいかに概念化することが問題になってきた.そこで得られた考え方のひとつは,モジュール化という概念にとって,仕切りとそれに補完的な仕切り間の横断とをうまく組み合わせることが重要だということである.仕切りをよりプリミティブなもので,それの流動化がより高等なものと単純に決めつけることもできないだろう.上の例のように「仕切り」が生み出す「矛盾」は,より高度な文化的活動を行うに当って,避けられない制約であるということが出来ないのだろうか.