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三次元仮想世界と市民社会


三次元仮想世界と市民社会

執筆者:池上英子 New School大学院社会学部長/教授

 最近、三次元仮想社会の研究に凝っている。そこでは、アニメのような自分の分身(アバター)のイメージを駆使して、三次元の仮想空間で、コミュニケーションを行うのである。ただし、私が、ここで三次元仮想社会と呼んでいるのは、いわゆるオンライン3D「ゲーム」ではなく、コミュニティ型の仮想「社会」のことである。今のところ、この種のプラットホームとしては世界中で一番会員が多い「セカンドライフ」がよく知られているが、その他にも様々な試みが行われている。「セカンドライフ」と言えば、日本では一昨年以来、そのビジネス面での可能性のみが一時バブル的に喧伝され、またそれが急速に冷え込むという現象があった。しかし私は長い目でみると、こうした三次元仮想社会が、将来のコミュニケーションを構成する社会的なインフラに成長する可能性があり、また、制度研究としても、実に面白い問題をはらんでいると考えて興味を持つようになった。

 そこで、単に研究対象とするのみならず、何しろ発展途上の技術と文化なので、これから市民のコミュニケーション手段としてどう発展させていくか、また知的創造の場としての利用をどう開発していくか、実際の仮想社会内のプロジェクト、制度づくりにも関わるようになった。今般、こうした経験をふまえて、歴史社会学的にみた仮想社会の意義と、現在私が取り組んでいるアバターを使って、リアルと仮想世界を結んでおこなう実験的な国際会議『仮想世界の未来:科学と市民的社会への可能性』を開催することになったので、本稿ではそのプロジェクトについて紹介したい。

 「セカンドライフ」のような仮想社会は、一応実社会とオンラインゲームの真ん中くらいに位置づけられるが、実際にはそのいずれの「感触」とも異なる。そこでのプレイヤーは「住民」と呼ばれ、それぞれニックネームを名乗る自分の分身(アバター)となる。ただし、オンラインゲームのような役割(戦士や宇宙船のキャプテンなど)を割り振られるのではない。アバターはその形も役割も状況や好みにより変えていくことができ、仮想社会の中での自分のアイデンティティを自らの行動と、他者との関係性のなかで造り上げていくことが出来る。例えばあるアバターが仮想社会で信用を積み重ねていくと、その個性が社会的に認知されるようになり他の住民に信頼されるアバターへと育っていく。その上自分の購入した「土地」にどんな建造物を建てるのも自由だから、アバター達は自己を取り巻く「環境」を変えていくこともできるわけだ。こうして、仮想社会は限りなく、経済学でいうゲーム理論的意味の「ゲーム」のようになるともいえるし、また現実の人間の社会での「付き合い」やコミュニティ作りのダイナミズムに近づいてきているともいえる。

 アバター同士はテレビ電話のように、お互いが向こうとこちら、というように同じ時間を共有しながら別空間にいるという感覚ではない。同じ仮想空間のカフェに座り、窓外に広がる仮想社会の青空を共に眺めながら、テキストチャットやヴォイスチャットで談笑したり、コーヒーを飲んだり(もちろんその動作だけで、実際にはコーヒーの香りも味も楽しめないが)、同じ空間を歩き回ったりできる。つまり同時的臨場感、同じ空間を共有する感覚が仮想空間の強みである。

 といっても、それは実社会のコピーとも違う。仮想空間では空を飛んだり、現代的ビルの一室から、見知らぬ街のギリシャ正教の教会に一瞬でテレポートしたりできる。もともとゲームの世界から出てきた技術らしく、人々のお目当ては主にそこで楽しい遊びの時を過ごすことだ。もっとも、奇妙な扮装のアバターの後ろには生身の人間がいて、いまでは遊び心に支えられたカジュアルなふれあいを求めて、数えきれないコミュニティが、仮想空間上に誕生しているのも事実だ。そして、まだ少数ではあるが、この世界を本格的科学共同研究の場に利用したり、新しい形の草の根的政治活動や市民活動を組織する場として活用したり、知的創造や教育の場として使おうという人々も現れ始めている。

 仮想空間は、少なくとも2つの点で、既存のものとはひと味違った市民参加型のコミュニケーションに発達する可能性を秘めている。ひとつは、地理的、文化的、年齢的、または様々な心身の障害などの要因で、既存の社会参加手段を自由に利用しにくい状況にいる人々でも、実際の社交空間に近い形でコミュニケーションと創造の場に参加できる点である。海外の「セカンドライフ」の例ではあるが、自閉症などの人々が他者との交流するための社交スキルを磨く場をとして、仮想空間が使われている。自閉症の人々自身が、セカンドライフ上の仮想空間に広場を作っている例もある。一方日本のセカンドライフでも、聴覚障害をもつ方が主宰して、健常者障害者の区別なく楽しい社交の時間を過ごす広場を作る試みが成功をおさめている。慶応義塾大学理工学部の牛場潤一さんは、頭につけたセンサーにより、念じるだけでアバターを動かすという研究も進めていて、将来的には脳梗塞などで寝たきりになった人でも仮想社会の社交に参加できるようになるかもしれない。このように仮想社会はバリアフリーの社交空間へと発展する可能性を持っているのである。

 もうひとつは、仮想社会がプレイフル(playful)な精神に満ちていることだろう。架空の名前で遊び心に満ちた社交というと、不真面目なものに聞こえるかもしれない。しかし、遊びの精神こそ、この手のコミュニケーション手段の強みなのではないだろうか。実際、ヨハン・ホイジンガは、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)が人間の本質であり、文化以前に遊びが存在すると考えた。もし「遊び」がヒトを人たらしめているとしたら、プレイフルな仮想世界のコミュニケーションを見下すことはできない。

 遊びの精神に満ちた仮想の社会、つまり「現実」とは違う社会を様々な文化的装置を活用して造り上げて、その中で通用するルールで社交するというやり方は、なにも今に始まったことではない。意外にも、江戸時代には「連」や「組」といった、俳諧などの趣味や遊びで楽しみながら緩やかに繋がるネットワークの構造に近いものがあり、日本人には、適したコミュニケーションかもしれないと私は密かに思っているほどだ。私はかって、拙著『美と礼節の絆』(NTT出版、2005年)で、前近代の日本社会は、遊び心を梃に造り上げた趣味のネットワークが、身分制社会に風穴をあけたと論じた。そこでは、芸名や俳名などのメカニズムを使ってつかのまの仮想空間がつくられ、「現実」とは違うアイデンティティに「スイッチ」して社交する空間が街や村のそこかしこにひろがっていった。それは、現実社会に存在する身分的ヒエラルキーを一時的にせよ無化し、より対等な遊びと学びの場を作り上げる文化装置だったのである。

 幸い、現代の仮想社交空間でも、この遊びの精神に満ちた対等なイニシアティブによる知的創造の世界が広がりはじめている。私が関係している機関の例で恐縮だが、アメリカをベースにする学際的研究所KIRA研究所(KIRAInstitute、所長:プリンストン高等研究所天体物理学教授ピート・ハット)では、昨年からその主たる活動の場をセカンドライフを中心とする仮想空間に移している。そこでは、本格的な科学共同研究が仮想空間で試みられているし、また心理学、哲学、芸術、演劇などの分野でも、学者と一般の人々が混じり合って、様々なワークショップが毎日セカンドライフ上で繰り広げられている。

 KIRA研究所は、今年創立12周年を迎えるのを期に、きたる2月24日の創立記念日に、同研究所のセカンドライフ内のKIRAキャンパスと、(株)内田洋行社屋内にある仮想空間用巨大モニターを結んで、『仮想世界の未来:科学と市民的社会への可能性』と題した、国際シンポジウムを開催する。仮想世界に東京の会場からアバターとしてログインする日本の研究者と、アメリカから参入する研究者のアバターが、KIRA研究所内のカフェでデイスカッションをかわす様子が、等身大で巨大モニターに映し出される。仮想世界と現実世界を同時に結んだ国内では初の公開国際会議で、仮想空間を使ったコミュニケーションの可能性を追求する実験的取り組みでもある。

 仮想社会が、バリアフリーの市民社会的コミュニケーションの場となり、その遊びの精神が、より意味のある遊びへとふくよかに展開していくかどうかは、この技術文化がこれからどう発展し、また多くの創意に満ちた個人がこの仮想世界をどう使いこなしていくかにかかっている。現実世界にも悪い人間はいるのと同様に、仮想世界にも困った人たちは当然いる。楽観的になるにはまだ未発達な部分が多い技術であり、その制度構築の上でもまだ未熟な面があるが、不完全だからといってそこに未来への大きな社会的可能性があることを見失ってはならないと思う。その意味でも、今回のシンポジウムに多くの関心のある方の参加をお待ちしている。

※シンポジウムの詳細はこちらになります

<2009年2月11日公開>