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主宰挨拶2009


 
(c)Alexandre Wimmer

制度や課題の多様性からいかに相互利益を得るか:
激動の時代にVCASIの知的ベンチャーが目指すもの

青木昌彦

 

 私どもが東京財団の研究プロジェクトのひとつとして、VCASI (“ヴィカシ”と読んでください) という試みを始めたのは2007年4月、ウェブサイトを開設したのは同年9月でした。VCASI とはVirtual Center for Advanced Studies in Institution の略称です[日本語としては、とりあえず仮想制度研究所としておきます]。この、いわば知的ベンチャーとでもいうべきプロジェクトを始めてから、もうすぐ丸2年になろうかとしていますが、ここでこれまでの経過報告とともに、改めてその狙いを簡単に述べさせていただき、皆様の続けてのご支援をお願いしたいと存じます。

 ご承知のとおり、この2年足らずの間に世界には大きな衝撃を与えるようなことが起こりました。金融危機、それに端を発する世界的なデフレ懸念、そしてアメリカの世界一極支配時代の終わりを告げるがごとき政治的な出来事などです。これらは学問の世界にも大きな影響を与えることになるでしょう。私の考えでは、世界は今、制度や国家的・社会的課題などの多様性からいかなる相互利益を得ることができるか、学問的にも、政策的にも、真剣に考える時期に入ったといえます。

 思えば1990年前後、東欧の共産党一党支配の政治体制が崩壊し、中国を含めた旧社会主義計画経済体制がこぞって市場計画体制への移行を始めるに従い、学問の分野では二つの相反する動きが起こりました。一つは制度研究の復活(リバイバル)ともいえる動きです。市場は確かに社会を構成する重要な制度の一つですが、それがどの様に機能し、どういう成果を生むかは、社会に働いている規範や政府・国民のあいだの関係を公式化し実効化する国家制度、ひいては技術や文化などとの相互作用の中で決まります。しかも、それらの関係はそれぞれの国や地域の歴史に大いに依存しています(学術用語で言えば「歴史的経路依存性」といわれるものです)。ですから、そういう制度に働きかけるための政策も、それらの歴史的に形作られた諸関係との適合性(フィット)がなければ、有効であり得ません。それが市場体制のグローバル化とともに経済学、社会学、政治学などにおいて制度研究の復活を促した大きな要因であったことは疑いえません。

 しかし他方では、20世紀の歴史を長らく彩った「資本主義体制対計画経済体制」、「民主主義的政治体制対権威主義的一党支配体制」というイデオロギー対立の劇的ともいってよい終焉を目の当たりにして、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』に代表されるような、普遍主義の高まりが見られました。そういう思潮はやがて、ウォール・ストリートが主導するリスクを内生的に増幅するような貪欲な金融手法、テロ対策という大義名分にもとづく一方的な軍事行動などといった現実の動きに乗って、制度の多様性を研究する流れを再び傍流へと追いやるがごときに見えました。たとえば、会社理論の権威であるエール大学法学部のハウスマン教授(Henry B. Hausmann)は「会社法の歴史の終わり(“The End of History for Corporate Law”)」という論文を21世紀の初頭に書き、株主志向のコーポレート・ガバナンスの理論的・実際的な優越性は世界的に疑いもなく確立したと宣言しました。しかしこうした断定が危ういものであることが事実によって証明されるのに、そう時間はかかりませんでした。

 現在の危機を目の当たりにして、「市場制度に欠陥はあるが、それに勝る制度はない」ということがよく言われています。それはその通りなのですが、そう言っているだけでは済まないところがあります。市場制度の運営には、制度経済学が明らかにしたように、多様な形態がありうるからです。しかもその多様性の源泉、相補性、動態進化、政策的効果などの理解には、すでに示唆したように、市場制度と政治制度、社会通念、人々のあいだの認知の構造などとの関連研究がますます不可欠になってきています。更に、この危機といわれる時代に、日本、アメリカ、中国、ロシア、EU、イスラム圏、アフリカ、ラテン・アメリカなどは、それぞれ消費のパターンや技術のパラダイム変化、人口構成の変化などに関連した、それぞれにある程度独自なアジェンダに直面していると同時に、グローバルな自然・気候環境という地球共有地の問題をも共通に抱えています(これらについては、本ウェブサイトのコラム欄『ザ・クール・ステートを目指す?』『多様化の時代をどう生きるか』を参照ください)。

 これらの問題に取り組むためには、従来のような個々の狭い学問分野に閉じこもっているだけでは不毛で、それらを超えたコミュニケーションや協同が必要だという認識がますます高まっています。またインターネットの発展は、学術情報の流通やディスカッションのあり方に革命的ともいえる変化をもたらしつつあります。これまでは、「一流といわれる学術誌に時間をかけてでも発表する」ということが、国際的な学者の第一義的な目的であったのですが今では、「研究成果をいかに早く、しかるべきサイトに発表するか」という熾烈な競争が始まっています。そうした成果は、ネットにさえアクセスできれば、世界中のどこででも瞬時に知ることができ、また面識のない研究者同士であっても、インターネットを通じて相互に意見交換したり批判を受けたりすることが可能です。潜在的に有用な文献の検索や困難だった文献の入手も一段と便利になりました。

 これらの事情をあわせ考えて、私たちはVCASIという知的ベンチャーを推進しようとしています。その目的や考えは次のようなものです。

  1. 学術の発展と有効な政策分析の双方にとってこれまでになく、その重要性が増している「制度研究」に様々なレベルで従事する(VCASI のStudies in Institutionの側面)
  2. これまでの社会科学の縦割り的な分野分けにとらわれない超学際的なコミュニケーションを通じて、制度研究における先端的な成果をめざす(同Advanced Studiesの側面)
  3. 研究・活動分野、所属組織・場所、キャリアなどにとらわれない研究者間のコミュニケーション、コラボレーションとその成果の伝播を実現するために、時々のフェース・ツー・フェースのディスカッションに加え、映像・音声を含めたインターネット技術の利用・開発をめざす(同Virtual Centerの側面)

 

 上述した目的を実現するために、私たちはフェロー組織やウェブサイトの設計などを含め、一から立ち上げてきました。研究プロジェクトとしては、現在経済学で最も先端的な分野であるマッチング理論を、学校選択制という現実の課題に適用するために、学者と地方自治体とのあいだのコミュニケーションを始めました(「学校選択制デザインプロジェクト」)。将来はこうした試みを医療・介護の分野にも広げていきたいと考えています。また会社の集団的な認知システムという特性や、政治的、社会的交換におけるプレイヤーという役割にも目を向けることによって、これまでの資本市場志向一本槍に代わるコーポレート・ガバナンス理論と政策論を発展させる試みも始めています(「コーポレーションプロジェクト」)。まだこれらの研究は緒についたばかりですが、いくつかの成果、あるいは研究の進行状況は、このウェブサイトでも発表し始めています。皆様のご批判、ご意見などをぜひいただきたいと存じます。また広く公開されているウェブサイト以外に、学術的なSNS(Social Network Service)ともいうべき、「仮想制度研究所」を設計し、フェロー間の分野と空間と時間を超えたディスカッションの場となっています。これには制度研究に関心のある若い学生や研究者にも参加していただきたいと思い、Friends of VCASIという制度も設けています。

 こうした知的ベンチャーを運営するには、当然それを支える資金と、それが目的に則って有効に使われているかをモニターするガバナンスのメカニズムが必要です。そして特定の利益集団(役所を含む)から自由で自己責任を負って研究を支え、評価していただくには、中立的な公益財団の支援がもっとも望ましいことは言うまでもありません。このことは、アメリカにおける研究の先進性の制度的な背景としてよく指摘されることです。その可能性は、日本においては未成熟といって良いと思われますが、幸いにもVCASIの計画は、加藤秀樹会長の下に新発足した東京財団のお目に止まり、財団自身のプロジェクトとして発足させていただきました。大変な幸運であるとともに、その期待に応えられるように最大限頑張りたいと考えています。なにぶん新しい実験でもあるので、それがフル稼働するには多少の時間がかかるかもしれませんが、皆様のご支援と、時と場合によってはVCASIの活動自体へのご参加を心から願っております。

(2009年1月28日)

[付記:VCASI の狙いについては、拙著『私の履歴書:人生越境ゲーム』(日本経済新聞社)の「30 社会のゲームと仮想研究所」に詳しく述べました。ご関心のある方はご参照いただければ幸いです。]

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