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第1回VCASIセミナー『了解的コミュニケーション」と「共同的コミュニケーション」の社会理論』報告

日時:        2008年4月21日 午後4時半~午後6時
場所    日本財団ビル3階東京財団A会議室
発表者
:  上柿崇英氏(東京農工大学大学院、friend of VCASI)



さる2008年4月21日,東京財団A会議室において,VCASIセミナーの記念すべき第1回が開催され,松井彰彦フェロー,川越敏司フェロー,瀧澤弘和フェロー,鈴木健フェローを始め,参加者の数も10名を数えて熱気溢れる議論が行われた.

 

1.「環境思想」とは

まず上柿氏から,自身の研究分野である「環境思想」とは何か,そこで氏が目指しているものは何かという問題意識が説明された.「環境思想」に関連する既存の分野としては,「環境倫理学」,「エコロジー思想」,「エコロジー経済学」,「エコロジー理論」などがある.これらの分野はそれぞれに重要な論点を提示しているものの,今後目指すべき社会像において人間が生き方やあり方がどのようなものになるのかという問題をはじめから考察の対象外としている.しかし,持続可能性(sustainability)を真剣に考えて新たな社会を構想するに際しては,環境,社会,人間をつなぐ総合的な社会理論が必要であり,それを通して近代の社会病理を乗り越える必要があるだろう.そこで,氏が構想するのは,「「関係性(relationarity)」の環境思想」である.すなわち,人間と人間との間の関係性の特定の様式がどのような社会統合を成立させ,どのような社会システムを生み出すことになるのか,またその社会システムとエコシステムとの関係はどのようなものになるのかということを考える必要があるのである.

 2.ハーバーマスのコミュニケーションの類型化批判

今回の報告は,このうち,人間と人間との特定の関係性がどのようなタイプの社会統合を成立させるのかに焦点を当てたものであった.その際,社会的行為のもっとも洗練された統合理論としてハーバーマスの「コミュニケーション的行為」をとりあげ,これに批判的検討を加えながら,上柿氏自身の考えを述べていくという戦略が採用される.
ハーバーマスは,コミュニケーションの類型化として,「成果志向のコミュニケーション」と「了解志向のコミュニケーション」との区別を設ける.前者は,”物象化された”コミュニケーションであり,文化的再生産/社会統合/人間形成においては後者こそが重要であるとされる.しかし,ハーバーマスの考える「了解志向のコミュニケーション」は,コミュニケーション的合理性に基づく「討議」のパターンに根差したものである.すなわち,ハーバーマスは合意に至る討議実践の中に,言語行為の合理性を見出し,その合意の拘束力に社会統合(行為調整)の力を位置付けたのである.しかし,社会統合を形成する言語機能に着目するならば,合理性の脈絡とは異なる,義理や人情,気遣いといったものに基づく,別の(人と人を結びつけ,行為を調整する)統合的なコミュニケーションが存在するのではないだろうか.上柿氏は,このようなコミュニケーションを「共同的コミュニケーション」と名付け,これを「成果志向のコミュニケーション」と「了解志向のコミュニケーション」とは別のものとして措定する.その際に,進化心理学の知見を用いることになる.

 3.コミュニケーション理論の進化心理学的再構成

上柿氏は,人類が言語以前に発達させてきた社会的知能(social intelligence)に着目する.かつて知能は道具制作をうまく行うための技術的知能から発達したと考えられていたが,ハンフリーの社会知能仮説以降は,知能は本質的に社会的なやりとりをうまく遂行するための装置として発達してきたとの考え方が有力である.とりわけ,80年代以降には,この仮説に対して生物学的基礎を与えるものとして「心の理論(theory of mind)」(人間は他者認知のために,他者の意図や信念を読み取るための理論を持つ)の研究が活発に研究されるようになってきた.
現在,心の理論の発達を促してきたとされる淘汰圧として有力視されているのは,バーンの「マキャベリ的知能仮説」とダンバーの「毛づくろい(grooming)仮説」である.前者によれば,他者の心を理解することで,他者を欺き,自分を有利にすることができるとされる.これは,「成果的コミュニケーション」のもとになったものと考えられる.これに対して後者では,他者の心を理解することで相手をケアすることができるとする.上柿氏によれば,これら2つの淘汰圧は同時に作用していたと考えられるが,社会統合を考えるうえでは,後者に着目することが有益である.
ダンバーによれば,音声言語の起源は毛づくろいにあるとされる.これは,集団の規模が大きくなるほど,毛づくろいに割り当てられる労力や時間が大きくなり,集団規模を拡大できなくなるので,音声言語を用いるようになったとする考え方である.こうして人類が獲得した初期の言語はゴシップであり,その目的は会話そのもので,内容それ自体は重要でないという特徴を持っている.その後,ミズンの「知能モジュールの架橋説」で説明されているように,人間の認知において,技術的知能,社会的知能,博物的知能が架橋されるとともに,言語はゴシップにとどまらない多様な機能を持つようになっていったと考えられる.
このように,進化心理学的な観点から見ると,ハーバーマスが討議的実践に見出した了解のプロセスは,言語が後から獲得した機能の一側面ではないかと考えられる.しかし,依然として,われわれが今日用いている言語にも,関係性の回復や構築を目指して,その行為そのものが目的となるような,毛づくろい的側面が存在している.これを,「共同的コミュニケーション」と名付けるわけである.

 4.「内的植民地化論」の再構成

上柿氏は,「共同的コミュニケーション」を特徴づける議論を展開した上で,最後に,ハーバーマスに戻り,その「内的植民地化論」を再構成しようと試みる.
ここで,ハーバーマスの社会進化論について素描しておこう.ハーバーマスによれば,社会には,言語的な相互行為を媒介とする「社会統合」と,構造的に非言語的な媒体を伴う「システム統合」の2つの統合力が作用している.部族的な社会では,システム統合の領域はわずかであり,社会の統合は儀礼的慣習などの社会統合により行われていたが,時代を経るにつれて,合意プロセスの負担を軽減するために,分業化や国家,市場経済など,非言語的な統合力を持つ社会制度が発達してきた.しかし,規範が「道徳」と「法(システム)」に分化するようになると,システムは生活世界から自立化する.「内的植民地化論」とは,自立化したシステムが,合意形成の局面を代替していくことで,生活世界の再生産が不全になることをいう.これが「意味喪失(ウェーバー)」,「アノミー(デュルケム)」,「精神病理」の原因となっているというのである.
ハーバーマスは,「内的植民地化」を乗り越える展望として,(部族社会から近代社会への移行の一側面である)了解の潜在力の顕在化をさらに推し進めて,コミュニケーション的合理性の持つ潜在力をさらに引き出し,肥大化したシステムを適切に統御する枠組みを作っていくことが必要であると論じる.そのためには,討議実践の様式が担保された公共圏でのアソシエーション実践と法システムをつなぐ法治国家のビジョンが必要であるとする.
これに対して,上柿氏は,ハーバーマス・モデルにおけるように,もっぱら「了解的コミュニケーション」に頼ろうとすることには限界があるとする.上柿モデルからは,アノミーや精神病理がむしろ「共同的コミュニケーション」の機能不全によるものと見做されうるという展望が開かれるのである.現在,われわれの社会が直面しているのは,ハーバーマスにおけるような「システム統合」と「了解的コミュニケーション」の間の適切な比重の確立ではなく,むしろ「共同的コミュニケーション」の持つ”ケア”の統合力,「了解的コミュニケーション」の持つ”正義”の統合力,システム統合の3つの間のバランスではないかというのである.そのためには,公共圏と親密圏の中間にあたる「地域社会」の再生が一つの鍵になる.地域社会の再生はシステムへの依存を削減することで,共同的な枠組みを再構築していくとともに,それが生み出す人間的基盤は,公共圏に根差すアソシエーション・ネットワークによるシステム監視・制御を促進すると考えられるからである.
 

5.討論

以上の報告に対して,(1)ゲーム理論が報告にあった3つのコミュニケーション様式(「共同的コミュニケーション」,「了解的コミュニケーション」,「成果的コミュニケーション」)のそれぞれをどの程度分析しているのかという議論,(2)ダンバーの理論を「心の理論」に含めてよいものかという疑問など,「心の理論」をどのように理解したらよいかという議論,(3)ハーバーマスの枠組みで「生活世界」と対立的関係にある「システム統合」を「非言語的な媒介」によるものとしていることの是非,などを巡って,議論が行われた.

参加者(五十音順,敬称略):飯田健,上柿崇英,岡野正,川越敏司,河村真千子,鈴木健,瀧澤弘和,成田悠輔,福盛秀雄,松井彰彦