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中国法学21世紀的パラダイムへの挑戦

中国法学21世紀的パラダイムへの挑戦
日中越境ゲームを通して見えてきたもの

語り手:季衛東 神戸大学
聞き手:大西健、成田悠輔(VCASI研究助手)

 中国法を専門とする法社会学者の季衛東氏(東京財団仮想制度研究所(VCASI)フェロー、神戸大学法学部教授)は、中国社会における法を通じた秩序形成の 独自の原理について精力的に研究を行ってきた。このインタビューでは、季氏の現在の研究内容や問題意識にはじまって、VCASIの理念や活動への提言、そ して、文化大革命下の経験から北京大学、京都大学を経て日中を横断する現在の研究活動にいたる季氏の個人史にいたるまで、数時間にわたってお話をうかがった。

「糾問主義モデル」と「当事者対抗主義モデル」

--- このインタビューでは、季先生の研究はもちろんのこと、その研究の背景にある先生の個人史や、VCASI、広くは社会科学一般の現在についてのお考えな ど、他のメディアではなかなか見ることのできないいわば研究の「裏の顔」についてざっくばらんにお話を伺えればと思います。まず、季先生がどのような問題 意識で中国法研究を進められているのか、そしてまさに今どんな問題に直面していらっしゃるかについて伺うところからはじめたいと思います。 

季先生の最近の論文を読ませていただきますと、法学における”inquisitorial model”(糾問主義モデル)と”adversary model”(当事者対抗主義モデル)の概念を踏まえた上で、中国法の秩序形成原理をそれらを超克するものと捉えられているように見受けられました。はじ めに、それらの二つのモデルはどのような概念なのか、そして中国法はどのような意味でそれらを超えていると言えるのか、そこからお話を伺っていければと思 います。 

季 “inquisitorial model”は、もともとはヨーロッパ大陸法の概念ですね。とりわけ刑事訴訟の場合、このモデルはいくつかの特徴を見せています。第一には司法官僚と当事 者の二者対立的な構図。言い換えれば、検察と裁判が一体化になって、中立的な裁判官像が成り立たないのです。つまり、司法官僚である裁判官と検察官の間の 分化はほとんど見られません。第二には、当事者の訴えがなくても訴訟を遂行することができるとする点です。”inquisitorial model”つまり「糾問主義モデル」と呼ばれるのはそのためですね。第三には、証拠収集の義務を負うのが当事者ではなく裁判所である点です。裁判官が職 権で係争事実の探知を行います。中国における裁判は、基本的にはこの「糾問主義モデル」に近いようなものでした。 

一方、” adversary model”は「当事者主義」あるいは「当事者対抗主義」と訳されます。この場合には、刑事訴訟における裁判官と検察官の区別が強調され、裁判官、検察 官、それから被告という三者の構図があります。そこでは、訴追者である検察官も一当事者として位置づけられますが、当事者たちが公開のアリーナで対抗した り、協議したり、弁論したりする。裁判者には、第三者の中立的な立場から、客観的な判断を下すことを求められるんですね。 

では、両者の違いは何でしょうか。どちらも正義の実現を目指す点では共通しますが、一番重要な違いは、前者の「糾問主義モデル」の場合には、ある意味で裁判官の心 証がブラックボックスになっていて、不透明な部分があることですね。ドイツでかつてあった裁判所の官房における秘密的裁判が典型例です。これに対して「当 事者対抗主義」の場合には、公の場で弁論することで、その心証のプロセスをオープンにして、可視化しようとします。その意味で、単に正義が正しく実現され るだけではなく、正しく実現する過程が可視化されているという点でメリットがあると言えます。 

オルタナティブモデルとしての中国法

--- では、中国法はそれらのモデルに対してどのようなオルタナティブを提示しているのでしょうか。 

季 たしかに、一般的には中国の裁判は職権探知主義の色彩が非常に強く、伝統的司法制度の下では裁判官と検察官の分化もありませんでした。その意味で、基本的に糾問主義モデルのひとつと言っても間違いではありません。 

ただ、見逃せない違いもあります。たしかに裁判者は訴訟進行において大きな職権を行使することができますが、同時に制限を受けています。第一に、当事者が 納得ずくことが求められている。第二には、当事者の主張をサポートする世論、つまり地域共同体の反応も常に見なければいけないんですね。その結果として、 ある意味では当事者の意思が最終的に裁判の帰結を決めてしまう。当事者が納得しなければ、この裁判は終わらないわけです。

その結果 として、中国における裁判の独自の特徴が産まれました。一つは、当事者の間での交渉や和解が支配的になり対抗や弁論が少なくなったことで、第三者の中立的 判断が相対化してしまいました。そればかりか、裁判者が当事者と一緒に交渉する場面が頻出するんです。特に民事裁判の場合には。その光景を見て、一部の日 本人研究者は、かつて中国における裁判のこの特徴を「三当事者主義」と呼びました。つまり、中立判断者がいないということですね。これが私が中国における 裁判が先程の二つのモデル、とくに糾問主義を「超えた」と考える第一の理由ですね。 

もう一つは、ご存じのように、中国の法には道徳 的色彩、倫理的色彩が非常に強いです。すると、その下で行なわれる裁判も単にある事柄が正しいかどうか判断するだけではない。当事者に対する人格判断も 入ってくるんですね。その結果、民事裁判も含めたすべての裁判において、人格判断の延長線上に存在するような公権力の判断が必要になります。公権力がある 人物の人格がいい悪いと烙印を押すわけですね。その点で、中国における民事裁判は刑事的発想が強い。商業訴訟の色彩が薄く、人格訴訟の色彩が濃いわけで す。これが前に言った二つのモデル、とくに当事者対抗主義を「超えた」理由の二つ目です。 

これらの特徴は、学問的に言えば、「方法 論的個人主義」の観点と「公序良俗」の観点の共存として整理できると思います。一方で、時に裁判官をも含む当事者たちの交渉が強調され、第三者の中立的判 断が相対化した。他方で、道徳的色彩の強い法の下での裁判であるがゆえに、判決は当事者の人格的判断をも兼ね、その際には公権力の持つ正統性が絶えず動員 されたということですね。その結果、かつてハーバーマスも指摘したように、裁判が非常に複雑化したのです。

法家思想と儒家思想

--- 一方、これまた最近書かれた別の論文では「中国における秩序や信頼の形成には、本来緊張関係にあるはずの儒家思想と法家思想が同時に影響を与えている」と いった内容が書かれていますね。では、その思想的影響と今ご説明いただいた裁判制度との間にはどのような関係があるのかでしょうか? 

季 その点は重要です。法家は、普遍的な法律や強制力、刑罰を強調するんですね。言い換えれば、国家の一元化した権力を強調する。これに対して儒教は、「道 徳」とか「家族主義」とか、いわば特殊性を備えた秩序原理を強調します。これらは非常に相反する立場です。したがって、中国の秩序原理は当初から相反する 立場を一つのものに統一してしまったと言えましょう。

そして、この矛盾する要素で形成された二重構造の均衡化の結果、中国では個人の確固たる「権利」という概念が出てこず、互恵性を軸にしながらケース・バ イ・ケースの判断のみが行われるようになりました。判断基準そのものが分裂し流動化している以上、個人の利益主張が正しいかどうか、事前に一義的に規定す ることは非常に難しいですからね。 

その意味で、中国における権利---中国には「権利」概念そのものが存在しなかったのですが、それに相当する概念を想定するならば----は現物ではない。一種の先物として不確実に存在するものなのです。 

加えて、その先物としての権利を最終的に確定するのは判断者---司法権力ですね---のケース・バイ・ケースの判断です。その際に強調されるのは実質的公平性、実質的正義ですが、いずれにせよ、人々が公権力に対する信頼を寄せていることが前提になります。

信託国家の下での「カオスからの秩序」

季  ですから、中国では国民の契約で国家権力を形成していくという「契約国家」ではなく「信託国家」に近い国家観が支配的です。たとえば賢人支配に対する信 頼がその例ですね。道徳的、能力的に優れた人が支配者になってもらい、そして彼の正しい、しかもケース・バイ・ケースの判断に一任する。それが国家に対す る「信託性」ですね。この信託国家の権力はしばしば恣意的であるわけですが、これが一つの政治原理をなしていることは間違いないですね。 

ただ、そこで重要なのは、そのような信託国家の発想の前提には、社会の末端での交渉に基づいた自生的秩序があるということです。たとえば民商法のような制 度条件が出てこなかったことがこれと関連します。近代社会の公私二分法によれば、市場秩序だったら、すべてを当事者が決める。国家はできるだけ介入しな い。一方、法秩序の部分は国家が判断する。しかし、中国的社会原理では、徹底した具体的交換関係によって性格づけられたのです。市場の非市場的基盤という 認識が成り立たなかった。すべてを取引の対象にすることができます。法への服従も交渉的服従になっている。その意味で、国家への信託はあくまで人々の間の 交渉のあとに来るものなんですね。それこそが国家と社会の関係のゲーム論的構成です。

秩序形成をすべてゲーム論的に進めていく場合に は、ゲームのルールおよびプレーヤーの”common knowledge”(共有知識)が焦点問題になります。ここで共有知識は、文化・心理的前提条件によって規定されたものもあれば、経験の学習を通して形 成されたものもありますが、何らかの普遍性を持っている内容を含むはずです。中国的社会価値の普遍性はどこから来るのですか。それは、個人を超えた家族主 義あるいは集団主義に求められますね。

かつてフランシス・フクヤマが指摘したように、普遍性には、個人の自由を強調する方向性と親子関係に基づく家父長主義的な秩序あるいは個人の責任を強調す る方向性とがありますが、中国は後者を取ったのです。その結果、ウェーバーが言う「小宇宙」という多元化した規範の異なる原理や、分節化した社会の異なる 構成部分がせめぎあうような状態が形成されました。

この場合、一番問題となるのは、互いに矛盾する複数の規範が並立せざるをえないことですね。そして、人々が様々な異なる規範を参照しながらゲームをプレイ していかざるをえない。ウチとソトを区別するような家族コミュニティ自体は特殊なものでしかありませんから、それだけでは社会全体の普遍性がないわけです ね。その結果として、自生的秩序形成の交渉は非常にカオス的な状態をつくり出しやすいということになります。言うなれば、カオスがあることを前提として秩 序を形成し、維持すること---この「カオスからの秩序」とでも言うべき姿が中国法の特徴なのです。 

そのカオスの発生を予防していく上では、複数の規範の接合部分に関する制度設計が問題になりますね。実際に中国に行ってみますと、全体の秩序、枠組みはどうにかまとめていますが、完全に解決できたかといえばそうではない状態と思います。 

秩序の理解から改革へ

--- いまご説明いただいたいわば基礎理論を踏まえて、現在取り組まれている研究について、簡単に教えていただければと思います。 

季 四つほど簡単にお話しましょう。中国的秩序原理、手続き、立憲主義体制、司法改革の四つです。 

一つ目は、すでにお話しした「カオスからの秩序」としての中国的秩序原理ですね。これは実はいまだに十分に理論化されていない、体系化されていない議論なんです。

たとえば、すでにお話しした内容の延長線上で関心がある論点としては、均衡の達成と構造の進化との関係が挙げられます。当事者たちが交渉を繰り返す場合、 ゲーム理論における相関均衡に近い結果を達成しようと彼らが考えるのは十分に想像できることですね。特に中国には元来「中庸の道」がありました。それにつ いて「中間項」、「媒介項」など色々な表現が使われますが、黄金律としての中庸を強調するわけです。バランスをとるのが目標モデルになっています。 

それは結局、個人に社会構造の均衡点を探り出すこと、均衡の達成を要求しているのだと理解できますが、あらゆる場面で均衡が達成しまっては、逆に構造の進 化が止まってしまいます。要するに均衡達成の陥穽、落とし穴が出てくるわけです。それに相当する現象が中国では実際に現われつつあるように思うのですが、 それをどのように理解するかという問題には非常に興味があります。 

それに加えて、解釈と改革の関係に非常に興味があります。これまで話してきた中国的秩序原理についての議論は、話としてはおもしろいけれど、あくまで解釈 ですよね。実際にその議論に基づいて価値判断する場合を考えると、解決しなければならない問題が多い。たとえば、個人的権利の保障、権力の恣意性の防止と いった実践的問題です。 

特に、現在の中国は二つの改革---全体的な体制の改革と個別的な制度の改革の両方を同時に行わなければならない状況にあります。しかもその際にとりわけ 問題になるのは、改革のお手本を示す模範国がないことです。規模の点から見ても一つの巨大システムですし、秩序の点から見てもすでに議論したようにヨー ロッパのそれとはまったく異質なわけです。ですから、ほかの国々の経験はそのまま応用できません。あくまで中国的文脈に沿った新しいパラダイムを模索する しか方法がない。ここではまず重要なのが、現状の本質についての的確な理解ですね。その理解に「カオスからの秩序」としての中国的秩序原理についての議論 が貢献できるのではないかと考えています。もちろん、解釈や理解の側面を強調しすぎると、現状の正当化ではないかといった批判に晒されやすいですが。 

--- 具体的論点を挙げつつお話しいただいたわけですが、お話の最初に「カオスからの秩序」としての中国的な秩序原理というものについて、体系立ってそれを解明 しようとする試みというのはほとんどなされてこなかったとおっしゃられました。季先生がおっしゃられるような意味での複雑系としての中国法秩序、あるいは アンチカオスとしての中国法秩序といった観点から中国法を捉えようと考えている研究者は少ないのでしょうか。 

季 極めて少ないと思い ますね。ただ、Harvard大学のYenching Instituteの所長である中国系の哲学者の杜維明教授が中国的規範価値を新しい視点から、東西の哲学的対話を可能な形で分析した仕事は強いインパク トを与えたことなどを考えると、共有した言語で話すために、これからそういった主張は増えてくるだろうと思います。 

中国内部に閉じない中国的法秩序の理解という意味では、むしろ歴史を遡ってみた方がいいかも知れません。中世後期のヨーロッパの場合では、伝教師が中国か ら持ち帰った情報が多くの人々にインパクトを与えたんですね。たとえばライプニッツは、彼自身が思いついた二進法的アイデアが偶然中国に昔からあったこと を発見して驚いた。だれでも見たことのある陰陽の構図ですね。ライプニッツはお墓に陰陽図を彫刻させたというエピソードさえあって、いかに彼が心を打たれ たかがわかります。

--- Chaitinをはじめとする20世紀の計算機科学者はLeibnizの二進法発見に驚嘆したわけですが、Leibniz自身古代の中国に二進法があることを発見して驚嘆していたわけですね(笑)話がそれてしまいました。本題に戻りましょう。 

季  そうですね。現在の研究関心の二つ目は、中国の制度改革を促進していくために、どのようにすれば人々の行動様式を変えられるか---具体的には、儒教に よってプログラミングされた行動様式を近代的法治主義に基づく手続き的正義によってプログラミングされた行動様式へと変えていくことができるか、という問 題ですね。

すでにお話ししたように、中国社会では、倫理的秩序の下での実質的判断が強調されてきました。しかし、現在では価値観は 多様化し、外部との障壁は取り除かれてしまった。そうすると、人々の間で倫理的、実質的合意を共有することは難しい。では、それに代わるものはなにか-- -手続的正義に基づく判断しかありえないのです。そういった認識に基づいて、私は1993年の論文で「手続化」というスローガンを掲げました。 

当初、中国の社会では手続きの概念は受け入れがたいものとされていましたが、少しずつ状況は変わって、私の手続論以降、学界のみならず実務界でも受け入れ られるようになってきました。ただ、しばしば実質的判断を先送りするための口実として手続き概念が利用されるといったことなどもあり、道半ばの問題もある のが現状です。 

三つ目は、立憲主義体制の問題です。ここで特に興味があるのは、たとえば経済学者のJames Buchananの「立憲的選択」や「公共選択」、「同意の計算」といった概念ですね。一言で言えば、権力を制限し、新しい公共性を形成するために、立憲 主義体制を中国の社会のなかにどのようにして構築できるのかということですね。 

最後、四つ目は、司法改革です。実際に機能する法のあり方は、ほとんど裁判によって規定されるから、司法改革は中国の制度変遷を占うにあたって一つ重要な鍵になっています。その延長線上で、法専門職の集団にも強い関心を持っています。 

中国法学の21世紀的パラダイム?

--- 今のお話と関連するのですが、中国法について特に社会学の観点から研究されている研究者の方のコミュニティの中で、研究上アジェンダと認識されている未解決問題としては、どのようなものがあるのでしょうか。 

季  いくつか挙げられると思います。第一に、中国的法秩序と制度形成の蓋然性の関係ですね。すでに強調したように、中国の伝統的な法秩序は、複雑系として捉 えることができる部分を持っています。実は、これは近代法の論理から見ると非常に問題があるんです。一般的には、法秩序の形成においてはいわゆるルーマンの命題---社会そのものが複雑系である一方、法は単純系であり、「複雑性を縮減」する機能を果たす、という命題が成立するはずです。つまり、「法律は、 現状の複雑性を縮減するために存在する」。しかし、中国法のように法律そのものが複雑化してしまった場合には、その命題が成立していないことになります ね。その問題をどのように考えるのか。これは法社会学の理論上も重要な問題ですし、中国の実践上も大きな関心のあるところですね。 

第二に、規範と認知の関係があります。中国法では、特に状況的判断が行われる際には、事実認知が非常に強調されるんですね。しかし法律の規範性は、ある状 況における事実がどうであれ、とにかくひとつの規範性として完結していなければならないですよね。そうすると、事実認知が強調される場合に法律の規範性は どのように位置づけられるのかという問題があります。

特に、今まで中国法の研究は、ある意味で印象派的な学問で、科学よりは芸術に近い部分がありました。人間の機微を捉えて、紛争をどうやってうまく解決する かという問題を主題にし、紛争解決者の「勘」というものを非常に重視していました。しかし、法社会学においては「社会科学」としての視点を確立していくが 大きな課題です。その場合の障壁の一つが「勘」、「義理人情」ないし道徳的規範をどう分析するか、という問題です。特に道徳的規範についての実証研究がど のようにすれば可能かということは、非常に重要です。

第三には、新しい法のパラダイムですね。グローバル化や情報化の中で、従来の 国民国家を前提とする近代法のパラダイムは、ある意味では賞味期限を過ぎた部分がありますね。では、どうやって新しいパラダイムを作り出すのでしょうか。 中国は、歴史的に非常にユニークな法秩序を形成してきましたし、現在では途方もなく大規模な改革をやっていますね。その意味で制度の実験場と呼べる側面が あって、もしかしたら21世紀にふさわしい法学のパラダイムや制度設計がその模索の中から発見されるかもしれない。これは私自身の研究の課題でもあります が、多くの法社会学の研究者と共有している課題だと言っていいと思います。

「統合」への確信と懐疑

--- では、いまお話しいただいた季先生自身の研究を踏まえて、VCASI、ひいては社会科学一般の現在の状況と今後の展望についてのお考えを伺いたいと思います。 

たとえばVCASIを主宰している青木昌彦先生は「ゲーム論的枠組みによる社会科学の統合」といった標語を掲げていらっしゃいます。とはいえ、その場合 「統合」とは何か、それは必要なのか、そしてそれは可能なのか、といったことについては、いまだに研究者の間でコンセンサスが取れていないように思いま す。これらの論点についてどのようなご意見をお持ちでしょうか。

季 20世紀後半、特に70年代以降、世界の情勢は非常に大きく変わ りました。端的に言えば、グローバル化、情報社会化です。その中で、従来の研究パラダイムは、いずれも限界を感じたんですね。その文脈で現れた主張の例を 挙げれば、「科学の終焉」トーマス・クーン(Thomas Kuhn)の「パラダイム革命」、「法の正統性危機」というユルゲン・ハーバーマス(Habermas)の問題提起---要するに、新しいパラダイムを 模索する必要が出てきた。その意味で、パラダイムの転換を迫られているということは、たしかに言えると思います。

新しいパラダイム を模索しなければいけないということになると、従来の個別的な研究の枠を超えて、何らかの普遍性を求め、統合を図るという必要が出てくるんですね。しか し、我々はすぐに困難に直面します。従来のパラダイムが崩壊していく。すると、残っているのは小さな研究モデルだけで、断片化していかざるをえない。その 状況の中でいったいどのように統合するのか、という問題の解決はわれわれが直面している困難です。

したがって、社会科学の統合を図 ろうと考える場合には(実際VCASIの活動も統合への方向性を探っているといえますが)、個別的な問題は別として、少なくとも今まである懐疑に代えて共 有の確信を育てていくことが重要ですね。それが前提条件になります。だから、確信を増やして、懐疑を減らす。そういうふうにして初めて実現できます。

その作業は大変難しいですし、時間がすごくかかります。だから、「社会科学の統合」といえば何かすぐ実現できる革命のようなイメージを持ちがちですが、実際には手間がかかることで、その過程では上に述べたジレンマが待ち構えていています。

特に、今は「相対化の時代」ですね。すべての状況が変わっていく中で、価値の相対性が非常に顕在化しています。その場合には、統合に対する抵抗は一層強 い。はじめからそれぞれの価値があって比較不可能ですからね。その意味で、「統合」は困難だと言わざるをえない部分があるのも事実です。

「統合」のキーエレメント

--- では、「(研究者間の)確信を増やして、懐疑を減らす」ために、特にどのような論点や議論が「確信」の土壌になっていく可能性があるとお考えでしょうか? 特に、その場合ゲーム理論(この言葉の意味するところも実は明らかではありませんが)は共通の言語になりえるでしょうか?

季 統合の困難は十分に意識しなければいけませんが、困難を承知で挑戦する場合には、まずは現在の社会科学のパラダイムを見なければいけないですね。

そうすると、そこで重要なのは、一つは行動規則です。社会科学のどんな分野でも、人々の行動規則を研究しています。社会学にしても、経済学にしても、法学 にしても、どういうような行動を人々がとるかということを研究対象にしています。もう一つ、特に社会学の分野で強調されてきた概念ですが、それはプロセス です。様々な相互作用のプロセス、過程ですね。

現在のほとんどの社会科学について考える場合、空間的に見た場合の主体の行動規則と時間的に見た場合の相互作用のプロセス、この二つはどうしても避けられないですね。

そこで出てくるのがゲーム理論---質問の中に出てきた、統合のツールとしてのゲーム理論です。ゲーム理論は、今挙げた二つの両方について、普遍性のある 分析枠組みを提示していますね。人々の行動の規則に焦点を合わせ、様々なプロセスも踏まえたうえで、最も一般的な分析の枠組みを提示してくれた。だから、 統合のツールとして極めて重要であることはまったく問題がないと思います。

ただし、行動規則の本質やプロセスの構成単位をどのよう に捉えるかについては、「社会のルールについてⅡ」の議論を見てもわかるように、非常に意見が分かれるところがあります。だからゲーム理論だけでは解決で きない部分がありますね。そうすると、ゲーム理論プラス何か必要になるわけで、この部分をどういうふうに解決するか、非常に重要な問題になっています。

たとえば「社会のルールについてⅡ」で議論されていたジョセフ・ヒース(Joseph Heath)やハーバート・ギンタス(Herbert Gintis)はそのプラスアルファについての議論のひとつの例だと思います。それから、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)の言った生成文法の生得的構造などはもうひとつの例ですね。それを見ない認識にはどうしても限界が出てくるんですが、逆にそれらは合理的 に説明しにくい面がありまして、どうやって解決できるかということが非常に大きな問題であるようになっています。

それらを踏まえて考えると、合理的に分析し議論できる「制度」とそれには含まれない「文化遺伝子」、この二つが重要ではないでしょうか。「文化遺伝子」というものは、理屈はないですね。とにかく生まれつきのもので、最初から埋め込まれたような部分があります。

これを中国の文脈でお話しますと、中国社会でのゲームを考える場合には、ゲームのプレーヤーについて、「家柄」と「育ち方」、この二つを考えなければいけ ないですね。「家柄」は血縁、血統、家族などを表現していて、身分的な部分ですね。一方で「育ち方」は、その構成的な影響、制度によって変わる部分、合理 的に説明できる部分です。分析にあたっては、この両方を考慮に入れなければいけません。

「場」と「関係」

--- 今おっしゃられた「家柄」という概念は、合理的に分析できる制度に対置された「文化遺伝子」のひとつの例ですね。その「家柄」をゲームのたとえで話すとす ると、それはプレーヤーに内在する属性と考えられるのでしょうか。あるいは、ゲームが営まれている場(のルール)を形作っている存在なのでしょうか。

季: 両方の側面があると思います。まず「家柄」という表現は人々の身分的な関係を表していますね。では、その身分的な関係はどのような効果を持つか。一つは属 性への効果。人の特殊な属性を決定する側面があります。もう一つは、ゲームの層を決める効果ですね。例えば規範でも、差異性、等級性があるんですね。だか ら、このゲームはこの層でプレーする、別のところではプレーできないといった側面がありますね。

この議論を敷衍すると、二つの概念 が重要になってくると思います。一つは「場」、もう一つは「関係」です。「場」は、ある意味では特定の空間、特定の集団、特定のコミュニティで、個人とは 切り離された存在です。一方で「関係」は、個人が操作可能な属性のひとつであって、いろんな対象と結ぶ関係性のことです。この「場」と「関係」が非常に重 要な視点になると思います。実際、先程の「家柄」は「場」の側面と「関係」の側面を合わせもつ「文化遺伝子」の一例です。

「場」と「関係」の日中比較

--- 「場」と「関係」の概念の導入によって、合理的には分析、説明しきれない「文化遺伝子」がより微細に捉えられるわけですね。ただ、一言に「場」や「関係」といっても、それが語られる文脈によってだいぶ果たす役割は違いますよね。

季  もちろんそうです。状況ごとに違いがいろいろありますが、特に重要なのは「場」がどの程度硬直的かということです。「場」はゲームの前提条件として-- -つまり、制度、組織あるいは暗黙の了解、雰囲気といったかたちであらかじめ設定されていますが、ゲームが営まれる中でそれを変える余地が残されている か、ということですね。それを考える上では、「場」と「関係」の結びつき方が重要な要素になってきます。

例を挙げましょう。例えば中国と日本を比較するならば、同じような東洋的文化、集団への志向性があるように見えて、実際にはかなり異なっていますね。

日本の場合には、まず「場」があって、それから「関係」が出てきます。「場」の優先性があるんです。人間関係について判断する際に、「空気を読めるかどう か」は重要ですね(笑)それに対して、中国人は空気が読めないわけではないが、あまり読もうとしない傾向があります(笑)だから日本人は、中国人以上に集 団的です。つまり、何はともあれこの「場」にいることが重要です。たとえば、これを読まれている方も経験があるかもしれませんが、海外へ留学するときです ね、日本人は2年離れたら仲間外れになるじゃないかと心配する場合が多いんですね。だから、eメールその他の方法でとにかくこの「場」にいるように同僚や 友人に感じさせようとする。あるいは、他の例としては、「常連客」とか「得意先」とかといった「関係」がありますね。たしかにこの「関係」は長期的で固有 のものですが、しかし、あくまでも店や企業といった「場」が前提です。その意味で、日本人は中国人以上に集団主義的だと思います。

逆に中国の場合には「関係」が先で「場」が後なんです。要するに、重要なのは「関係」としての身分的属性であって、どの「場」にいたかは問題でない。中国 は何十年離れても、ふるさとへ戻ったらやはり友だちがちゃんとおります。だから、離れることを心配する必要はありません。

その結果、日本の場合には「場」がゲームを規定して「場」そのものは変わりにくい。状況を変えるためには、「場」自体を変える抜本的改革が必要です。大化の改新や明治維新のように。

いっぽう、中国では「関係」が重要であるがゆえに、「関係」が変われば「場」も変わる可能性があります。人間関係次第でその場はある程度変えられますね。 だから、そこに主体性が出てくる余地があります。言い換えれば、中国人は集団的であるけれど、集団の枠内の個人の自由は認めるという意味で、集団の枠内で の個人主義があるんですね。

逆に言えば、「関係」は常に複雑に絡み合っていますから、一括して変えることは難しい。その意味で、「場」自体は流動的で柔軟性がありますが、全体の枠組みはなかなか変えられない、変化には漸進的改革を必要とする性格を持つんです。

「場」自体についてのゲーム/中国的市場経済の可能性?

──いまご説明いただいたのは「場」と「関係」の結びつき方の日中比較ですが、他にもたとえば一方で経済的な損得を争うゲーム、他方に社会的なリピュテーションを争うゲームを置いてみると、「場」と「関係」の機能はだいぶ違ってきますね。

季  そうですね。同じく中国の例で考えてみると、面白いことがいえると思います。すでに述べたように、中国の場合には「関係」が先で「場」は後であって、 「場」自体が柔軟的である。すると、ある意味で「場」そのものについてのゲームが可能です。要するに法律や規則さえも取引の対象になることがありえます。 言い換えれば、あらゆる場面で交換が基礎になった徹底的な市場原理が現れる可能性があります。もちろん、これは通常の意味での経済交換の枠を超えているの ですが、身分などの個人の属性を含めた社会交換の徹底化と言えると思います。

--- しかし、それは通常の「市場原理」の定義を超えていますね(笑)

季 そうなんです。今申し上げた中国における市場原理の徹底は、ヨーロッパをベースにした近代化の捉え方からすると問題を孕んでいます。なぜでしょうか。

「場」の概念に相当するものは、近代ヨーロッパの市場経済の中にある意味では存在しています。つまり、たとえばエミール・デュルケーム(Emile Durkheim)の言った市場経済の非経済的基盤---分業関係、法治などです。その意味で、市場交換を徹底しますが、交換できない部分があることが前 提になっているんですね。これが「場」です。しいて言うならば、これはフィールドというものがありまして、それがなかなか変えられない。「場」はなかなか 変えられないが、その変えられない「場」を前提にできるからこそ、そのほかの様々な要素を変えることができます。

それに対して、中国のように法律や規則を含めあらゆるものが交換の対象となった場合には、健全な市場経済に必要なハードの部分がなくなってしまうんです。 非経済的な部分、交換に対して閉ざされた部分が中国ではないんです。中国で商業資本主義が繁栄しやすく、産業資本主義が自発的には育ちにくいのは、これと 関連します。つまり、何でもかんでも商取引として解決していくんですね。

したがって、今言ったような意味でグローバルな市場原理主義と中国との間に対話しやすい部分がよく出てきます。もちろん、グローバルな市場原理主義におけ る身分的属性を的から外した交換と、中国の身分的な原理を含めた徹底化した交換の間には本質的な違いがありますが。

「場」と「関係」のゲーム理論へ

── いまおっしゃっていただいたような「場」や「関係」といった要素は通常のプレーンなゲーム論の枠組みからは漏れ出てしまうような要素の一つですね。

たとえば、「社会のルールについてⅡ」で、VCASIのフェローである山岸俊男先生が「preferenceなんて存在するのか」といった趣旨のことを おっしゃっていました。おそらく山岸俊男先生がおっしゃっていたのは、通常のゲーム論が仮定するように、個人がpreferenceを与えられていて、 beliefやknowledgeを獲得して、それに基づいてoptimizeして行動していくという枠組みで考えると、統一的には説明できない矛盾した 要素が出てくる。で、それらの矛盾した要素を既存の枠組みの中に当てはめていこうとすると、その場その場でアドホックな仮定を課していって、何でもありに なってしまうではないかということだと思います。では、その問題を解決するためにどういう具体的な、例えばゲームのドメインみたいなものであるとかという ものを持ち込んで、より具体的で中身のあるモデルをつくっていくか、というお話だったと思うんですね。

今議論していただいた「場」や 「関係」といった概念もそれとの関連で考えられると思うんです。合理的に分析し議論できる「制度」とそれには含まれない「文化遺伝子」という二項対立を前 提として、その「文化遺伝子」を腑分けする概念として「場」と「関係」という二つを抽出されたわけですが、最終的には合理的分析の中に「場」や「関係」を 織り込んでいくことが必要ではないでしょうか。

季 そうだと思います。preferenceなどのより基礎的な部分に議論が移っていくのは、合理的経済人の仮定の下での分析では限界が出てくるからですよね。その場合、「場」や「関係」の概念に基づいていくつかのことが言えると思います。

まず「関係」については、preference自体が「関係」と結びついて存在しているということが言えると思います。たとえば、名誉毀損の例を挙げま しょう。名誉毀損は不法行為法上の概念ですが、市場原理が浸透した社会では、それに対して損害賠償を求めるのは当たり前ですね。しかし中世の場合には、名 誉の観点からみて、決闘で解決しなければならないという風潮があった。だから、そこでは同じことについてまったく違う判断が行われていて、それぞれのゲー ムは完全に異なるはずですね。その意味で、preferenceという概念は、ある事柄について周囲の人々がどう考えるかという「関係」の属性と結びつけ て議論する必要があります。たとえば、利他的行動への選好などはその一例です。

「場」についてはどうでしょうか。状況的設定、つまり 「場」が変わる場合には、状況的論理の強いゲームの場合には、「場」の変化に応じてゲームのプレイのされ方が変わるんですね。しかし、逆に状況的論理では なくて、規範拘束的発想が強いゲームの場合には、「場」の変化の影響はあまり受けず規範に基づいてゲームがプレイされる。その意味で、「場」の影響を受け るか受けないか、という問題が出てくるんですね。

以前、数理経済学は黒板経済学だと言われていましたが、ゲーム理論は本来実践的意味が強いものですよね。「場」や「関係」といった要素を含めた分析をしていくことで、ただの黒板ゲーム理論にとどまることなくその実践的意味を取り戻すことができるかも知れません。

方法論の多元化

--- そうしますと、「場」や「関係」といったある時空間に固有の要素まで含めて分析しなければならないとすると、分析の対象とする状況に応じて、方法論や考え方の道筋が変わってくるような社会科学の将来像をイメージされていると考えていいでしょうか。

季  そうですね。もちろん数理モデルに基づく研究も必要ですが、それは真空状態の中で何が起きるかの法則を追求するものですね。しかし、正解はゲーム理論の 中に用意されています、あとは状況に応じて分析して引き出すだけです、という考え方をするようになると、それは現実の単純化にしかならないですよね。経験 科学として貧血症になってしまい、新しいものが見えなくなってしまうと思います。

たとえれば、ゲーム理論が分析する戦略的相互作用にお けるように、社会科学者は分析したい対象の出方や意図を解読する。相手の出方や意図は、合理的法則に基づく部分だけでなく、解読しきれない文化的な部分が 入ってくるんですよね。その部分については、実証的あるいは歴史的に事実に基づいた分析による補完が不可欠です。そして、シミュレーションですね。シミュ レーションではモデルの中にパラメーターに様々な経験的な要素を反映させて仮想的に実験を行うことが可能ですから。それらを含めてはじめて豊かな社会科学 の統合が可能になると思います。

文化大革命の頃

--- 最後に、これまでお話しいただいた季先生の研究の問題意識や社会科学に対する考え方に影響を与えたに違いない、先生の個人史について伺えればと思います。

季先生が継続的に取り組んでいらっしゃる中国法の研究、あるいは広く法を通じた中国における秩序形成の原理の研究に対する関心が生まれたのは、中国で大学にいらっしゃる頃でしょうか。

季 僕が高校を卒業したとき、中国は文化大革命の後期にありました。文革の一環として行われていたのが、いわゆる「下放政策」です。その結果として、高校卒業生はすべて農村に行かなければいけなかった。肉体労働をしなければいけなかったんですね。

僕自身は都会で育ったんですが、農村に行くこと自体、当時はけっこう理想主義的なところがありました。当局もそういうふうに宣伝していましたし。だから、 割に積極的に行っていたんですが、今から振り返ると、特に社会科学の研究から見ていい発見がいくつかありました。

一つは、当然といえば当然ですが、実際の農村には理想主義的な言説と異なる現実があり、理想と現実のギャップを非常に強く認識しました。だから、つねに現実を見なければいけない。そう感じたということですね。

もう一つは、農村社会で素朴な農民に出会って、自然の中で生活していく、彼らの人生哲学、特に生存権的な発想からかなり強く印象を受けたんですね。あるいは自然や他者と共生する生命倫理の陶冶があったともいえましょう。

さらに、それらを通じて感じたのは、中国の権力構造の問題です。昔の中国は間接統治で末端社会には自生的秩序があったとする説明がありますね。しかし、そ のとき僕が目撃したのは、国家権力が末端社会の中に介入し、悲惨な状況に置かれた農民の姿だったのです。

──今おっしゃられた農民の悲惨さというのは、経済的な悲惨さなんでしょうか。あるいは、たとえば言論への抑圧や介入であるとか、法律的な側面、政治的な側面の悲惨さだったのでしょうか。

季  もちろん経済的な悲惨さもあります。ですが、その背後に、集団経済体制の下で彼らは自分の利益主張を行う機会がほとんどない、という問題がありました。 かなり集権的経済体制の中に抑圧的な権力があって、その構造から脱出する自由、異議申し立てする自由も十分になかった。硬直的制度の中で争うことが許され なかったのです。

--- そして、大学入学以前の農村での経験がその後の進路を決定づけたわけですね。

季 そうですね。農村での無法的な状態を目撃したことが大学への進学の際に強い影響を与えました。大学受験の第1志望は北京大学法学部、第2志望は上海の名門大学、復旦大学の新聞学部でした。やっぱり言論と法治に漠然とした重要性を感じたんですね。

「現代中国の精神のふるさと」北京大学へ

--- 当時、たとえば北京大学の法学部など、名門大学の社会科学系の学部には、季先生のそれに近い問題意識を持った学生が多かったのでしょうか。

季  文化大革命の影響で一時中断していた中国の大学入試制度が復活し、労働者や農民および高卒の学生が試験の選抜をパスして北京大にふたたび入学しはじめた のは、1978年のことでした。その段階での北京大学には、序列化した大学ヒエラルキーの中で、中国の近代化の先導役としての役割が期待されていました。 特に法学部は、長い間少人数の「極秘学部」、中国語では絶対秘密---「絶密」と言います---と位置づけられていたんです。つまり、最初は官僚的なとこ ろがあって、東大みたいな(笑)ごめんなさい(笑)

--- いえいえ。遠慮なく批判していただいて結構です(笑)

季  撤回します(笑)しかし、次第に教育改革が行われて、中国の自由の気風をリードするようになりました。北京大学は今年で創設110年ですが、まさしく現 代中国の精神のふるさとのような存在、すべての新しい風がそこから出てくる源泉のような存在です。だから、ある意味では中国の権力の中枢にありながら、批 判的な精神を持つようなところで、たとえるなら、東大と京大が結合したような部分があるかもしれません。

--- そういった空気が生まれてきた過程では北京大のファカルティの方の努力が強い影響を?

季  そうですね。現代中国の代表的な教育家、蔡元培が北京大学総長になってから変わったんです。彼はドイツのフンボルト大学の経験も参考にしつつ、北京大学 を改造し、官僚養成機関としての唯一の国立大学からの転身を図りました。重要視したのは、お互いに相反する立場や価値をすべて大学の中に取り込むことでし た。それこそ近代知識の百貨店のような状態を作り出したんですね。一方で最も保守的な論客、他方で最も急進的なopinion leaderをともに教授として迎えた。その結果、北京大学の教授がその後の中国の世論をリードすることになりました。

法社会学研究の萌芽

--- そういった雰囲気---つまり、正しくもおっしゃられたように東大法学部の対極にある雰囲気(笑)---の中で、季先生ご自身はどういった知識や教養を吸 収されていたのでしょうか。現在の季先生が研究の中で複雑系やカオスといった自然科学の用語を活用されているのも当時の影響が強いのではないかと推測して いるのですが…

季 たしかにそれはありますね。僕が北京大に入ったのは1979年ですが、1970年代から80年代にかけての10年ほどの間、中国では多様な思想が百家争鳴の状態を一時的に形成していました。

50年代の反右派闘争の中で批判を受け、存在基盤を奪われ、抑圧を受けていた社会学---ソ連でも似たような経験がありました---の名誉回復が行われた のが1979年です。それと同時に、西洋の新しい思想---フロイト、サルトル、人道主義的社会主義などの異種混合の思想が流入して、知的流行として大学 生たちの間で人気を博しました。

そのなかで、北京大の学生の間では無数のサロンが形成され、1980年代末までのヨーロッパの様々な考え方を吸収していました。当時の北京大の学生のハン グリー精神を象徴するのは、図書館の前の行列ですね。北京は冬が寒いですが、朝5時ぐらいには行列ができていて、図書館が開くまで待つんです。そして、限 られている席を取ってから何でもかんでも雑読していくんですね。

論争も盛んでした。週末には同級生と一緒に、政治改革論争が行われている「西単民主の壁」に見物に行ったことがありますし、今年の3月に国務院の常務副総 理になった李克強---彼は1年前に北京大学に入った先輩です---が、当時では新しい知識と思想の象徴であったシステム論、サイバネティクス、情報論な どを取り入れた論文を発表して話題になったこともありました。

僕自身、当時支配的だったヴィシンスキーの法理論に対する批判の論文を書いて、波紋をもたらしました。ヴィシンスキーの主張は、ソビエト国家理論の影響を 受けて、「支配者階級の意志こそ法」という考え方---オースティンの主権者命令説の延長ですね---でした。それに対して、僕は単に支配者だけではな く、その他のプレイヤーの要求も含めた広い意味での社会的相互作用を考えた。それは「階級性」に対して「社会性」、「主観的な法則」に対して「客観的な法 則」を強調する当時の中国の法学界の流れに沿ったもので、社会学的観点からの法学への関心の出発点でもありました。すでに読んでいたドイツ法社会者オイゲ ン・エールリッヒ(Eugen Ehrlich)の生ける法の学説、米国のロスコー・パウンド(Roscoe Pound)の社会工学的法理学、フランスのレオン・デュギー(Léon Duguit)の社会学公法理論などに加えて、マックス・ウェーバー(Max Weber)や二クラス・ルーマン(Niklas Luhmann)やユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)の主張に断片的に触れたことも大きかった。結局、法社会学に惹かれはしたものの、本格的に勉強したのはやがて日本に留学してからだった のですが。

ハプニングとしての日本留学

--- その百家争鳴の状態の北京大学から日本に留学されたきっかけは何だったのでしょうか。

季 中国から海外への留学生の派遣が長い間中断していて、なかでも法学理論の分野における留学は、私が派遣された年が再開後はじめての年でした。

加えて、留学先はすべて政府によって決められていました。留学予定者は、希望だけは出せましたが、最終的には自分で決定することができませんでした。特に 強い希望はなかったですが、北京大からはアメリカに行く人が多かったので、英語を勉強していたこともあって、アメリカに留学しよう思ったんですね。しか し、中国はそのときアメリカとの関係が微妙で、レーガン政権がハードな態度をとったこともあって、留学の準備が始まる頃には予定の留学派遣対象国を変更せ ざるをえない状況になったんです。アメリカ研究の学生だけは例外でしたが。第2ヶ国語はドイツ語を勉強していたので、最初はドイツを希望しました。向こう では法理論が優れていますし、私の専攻に適います。なのですが、政府の関係部門側から届いた返事は「ドイツはダメ、フランスにしろ」と。フランスの比較法 はいいから「じゃあやってみよう」と思ったところで、最終的に通知が来ました。開いたら、日本(笑)そこから慌てて日本語の勉強を始めて、大連の半年間の 特訓コースで詰め込み教育を受けたんです(笑)

--- そこで初めて日本語を勉強された?(笑)

季 そう、そう。初め て(笑)あいうえおから始めて、はじめの3カ月で文法、残りの3カ月は、専門的な授業を含めて日本語をやりました。幸い漢字も共通している部分があります し、集中的にやれば何とかなったんですね。すぐに日本に派遣されて、さすがに最初の1年間は苦労したんですが。

--- 日本への留学はほとんどハプニングだったわけですね(笑)

季  そうなんです(笑)ただ、通知を受けて派遣先が日本だとわかってから、いろいろ調べてみました。日本留学の非常にいいところにも気づきました。それは、 日本が比較法の研究に非常に力を入れていたこと、そして法社会学の研究が早くから発展していたことです。たとえば川島武宜先生を中心とする研究グループ、 箱根会議、世界初の10巻に及ぶ法社会学全集などですね。ちょうどその頃、1年前に日本に留学した先輩が帰省していて、この大学がいい、この研究者がいい といったことを紹介してもらったのが助かりました。

--- それで京大に留学された。

季 はい。京大には非常に優れた法社会学者がいると先輩から聞いて京大に決めました。それ以外にも大きな魅力が発見されました。たとえば実際に行ってみると、京大には北京大学に似ている部分がありました。

一つは、京都大の人々は海外時事や政局変化に非常に関心を持ち、積極的に批判したり議論したりするんですね。少なくとも1980年代前半の当時は、その雰囲気が残っていました。文化大革命のスローガンまで残っている部分がありますよ(笑)

もう一つは、京大は、純粋に研究者を養成する機関として設立された経緯がありますから、常に新しい発想や批判性に開かれた自由な気風があるという部分で す。加えて、理論志向が強かったことも、基礎理論に関心を持っていた僕にとっては非常にプラスになりました。

二重の言語の壁

──とはいえ、いらっしゃってしばらくは、言葉の壁が非常に大きいですよね。特に自然言語で理論的な事柄について考えるのは非常に厳しいのではないかと思うのですが。

季 そうですね。字引を調ながら本を読むことは、半年間過ぎてからはだいたいできるようになったんですが、学会などで自由に発言するのは難しいところがありましたね。

一番の問題は、社会科学の研究の微妙なところの言い回しですね。例えばいまここで我々が話しているとき、はたして自分の考えている内容と自分の話した内容 が完全に合致しているかどうか、正直に言って、よくわからないところもあります。特に理論が高度になればなるほど、意味内容の微妙な相違を示すような表現 が重要になってきます。その分、誤解されやすいかもしれません。

ちなみに、頭の中でたどりついた考えに比べて、出てきた言葉は固くなりすぎる。あるいは簡単になりすぎる。いろいろ複雑に考えた過程を、簡単な言葉で済ま せてしまう。等々。自分が自覚した部分でさえそうなのですから、自覚していない部分がたくさんあると考えると恐いくらいです(笑)

──数理科学や実証科学の場合は、データを共有できたり、数理モデルを共有できたりする場合が多いので、だいぶ楽なような気はしますね。

季  理科系の学問は共通言語がもともとありますね。それに加えて、近代化と学説継受の蓄積が豊富な日本という国の研究者を見ていて感じるのは、海外の研究者 と言葉の壁があっても、学術用語は共通している部分がありますね。しかし、中国の研究者の場合は、三十年ほど前まで非常に閉鎖的だったために、学術用語の レベルでさえ隔たりがあります。

終わりなき越境ゲーム

--- なるほど。では、これまでのお話を踏まえて最後に一つだけ伺いたいと思います。今おっしゃられたように、日本で研究活動されていて、論文を書かれたり学会 で発表・発言されたりしても伝わらない、あるいは逆にレッテルを貼られることが多いのではないかとお察しします。それはとてもストレスのかかることですよ ね。にもかかわらず、日本に住み、日本語で研究し、日本人とコミュニケーションを取られてきたのはなぜなのでしょうか。

季 たしかに デメリットや困難はあります。一つには、すでに話したように誤解されやすい。もう一つは時間の消耗があるんですね(笑)日本語で考えてしゃべるには時間が かかります。そして、正確に表現したい場合には、だれかに直してもらわなければならない。最初は論文をだれかに見てもらいますが、当然コストがかかります から、だんだんそのまま出すようになる。そうすると、やっぱりミスが残りますし、書くのに臆病になる部分がありますね。そのモチベーションの低下はどうし てもデメリットとして残りますね。

ただ、それを上回るほどのメリットがあるんですね。一つには、日本で中国法について研究する場合には、教育、研究の両方の場面で、予備知識を持たない人々 に対して、わかりやすい、そしておもしろい説明をしなければなりません。その制約の下で表現の工夫をしているうちに、逆に中国の制度の本質、あるいは欠陥 がわかってくることがあります。それは僕自身にとって非常に有益です。

もう一つは、日本社会や日本人研究者からの刺激があります。例えば、中国の現象を理解し、説明することを目指していると、中国社会や中国人にしか通用しな い議論に陥ってしまいがちです。そのなかで、日本人との交流の中は視野を広げてくれます。例えばVCASI主宰の青木昌彦先生の研究されている比較制度分 析がその典型例です。そして、その交流の中で得られた情報の中には、逆に中国での事柄と類似することがたくさんありますね。あまりに短絡に結びつけてしま うのはまずいですが、そこで発見した類似性が中国の現象の本質を見出すのに役立つのです。

--- 季先生がたびたび中国に帰られて中国人研究者たちと話すことで、彼らもそのメリットを間接的に享受しているわけですね。

季 たしかに、その点で私は海外にいる中国人のほかの研究者と比べて違うかも知れませんね。つまり、日本語や英語での研究だけでなく、より積極的に、より 早い段階で中国国内に対して情報を発信してきたのです。意識的に日中の間を横断して情報のやりとりをおこなってきたのです。そこから得られた反響は、逆 に、自分自身の学問的な自信に繋がってきたと思います。 (終)