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『ゲーム理論』とマーケットデザイン(VCASIフェロー・スタンフォード大助教授 小島武仁)

 VCASIフェローである小島武仁氏が、日本経済新聞にて、2009年8月6日より「やさしい経済学」コーナーに8回にわたって連載をいたしました。下記に、許可を得て転載させていただきます。
 
[1] 現実の制度設計に貢献
 
 マーケットデザインは、近年急速に発達した、経済学の新しい分野である。これまでの経済学を非常におおざっぱに「既に存在する市場や制度の働きを研究する学問」であるとするならば、マーケットデザインはそこから一歩踏み込んで、制度を設計、変更することを研究対象にする学問である。
 
 伝統的な経済学では、学問的な成果を現実の制度設計に生かすことがなかなかできなかった。これに対し、マーケットデザインは現実のマーケットをつぶさに観察して分析し、現実の経済問題に対し具体的な解決法を示すことに成功してきた。
 
 電波周波数帯を割り当てるためのオークションのほか、公立学校の選択制度、臓器移植プログラムなどの制度設計・業務がマーケットデザインの考え方に基づいて行われている。その応用先は広く、現在も増え続けている。
 
 このシリーズでは、このマーケットデザインの基礎理論の一つである「マッチング理論」を取り上げる。マッチング理論とは、簡単にいえば、取引相手を見つけたい人や会社などを引き合わせる(マッチさせる)方法や、限られた資源を人々に分配する(マッチする)方法と研究する学問のことである。
 
 以前からこの理論は、数学者やコンピューターサイエンスの科学者によって研究されてきたが、実践的な経済制度設計にも非常に役立つことから、経済学者の間でも注目されるようになった。
 
 分野として新しいため、マーケットデザインを教える大学はまだ多くないが、筆者の出身校であるハーバード大学や勤務先であるスタンフォード大学などアメリカのいくつかの大学ではマーケットデザインの講座が設置され、研究者はもちろん、学生の間での注目度も日増しに高まっている。
 
 日本ではまだなじみの薄いマッチング理論の基礎を説明するだけではなく、マーケットデザインの世界各国での様々な実践例についても紹介していきたい。手始めに日本でも近年導入され大きな話題を呼んだ、研修医のマッチング制度について、その仕組みを解説することにしたい。
 
 
[2] 研修医の配属に活用
 
 研修医制度とは、医師免許を取得した医学部の卒業生が医師として独り立ちする前に、病院で実地研修をする仕組みのことである。研修制度は世界各国で広く採用されており、日本でも2004年からそれまでの任意の臨床研修制度にかわり、新たに必修の臨床研修医制度が発足、医学部卒業生に2年間の研修が義務付けられた。
 
 この制度導入とあわせて、どの研修医がどの病院で働くかを一定のルールに従って決める「研修医マッチング制度」が新たに採用された。このマッチング制度はアメリカで1950年から実際に用いられているルールを基礎としている。今回はこのアメリカの研修医制度導入の経緯とその中身を簡単に紹介することにしたい。
 
 若い医師にとって病院での研修は実際的な医療技術を身につける得難い機会であり、病院にとっても研修医は安価で貴重な労働力である。このため研修医制度の重要な一翼を担うようになった。ところが、この仕組みの重要性が増していくのに伴い、研修医と病院をどう組み合わせるか、マッチングさせるかが難しい問題になった。優秀な研修医を採用したい病院は競って採用時期を早めていったため、やがて研修医の採用決定時期は医学部終了の2年前にまで早まってしまったという。
 
 卒業の2年前といえば、学生はまだ臨床実習さえしていないような時期である。このため採用時に想定していた技能を学生が持っていなかったり、学生が興味を持つ分野と病院の希望との間に食い違いが生じたりするなどの問題が頻発した。研修医と病院の間に多くの点でミスマッチが起きるようになったのである。
 
 これを受けて、アメリカの医学界は中央集権的なマッチング制度を設計した。これは学生と病院が自分たちの希望を提出し、それをもとに、マッチメーカー(アメリカの医学界が組織した機関)が決められたルール(アルゴリズム)に従ってすべての研修医の配属先を決定する仕組みである。この制度が導入されると、研修医の採用決定の時期は大幅に遅くなり、病院や学生の間の競争によるストレスも大幅に改善された。この制度、全米研修医マッチングプログラムは、マーケットデザインの成功例として広く知られている。アメリカでは現在も年2~3万人ほどの研修医の配属先を、このプログラムによって決定している。
 
 
[3] マッチングの“安定性”
 
 前回はアメリカの研修医制度を概観し、中央集権的なマッチング制度が「市場の失敗」(自由な競争のもとでも資源配分が効率よく行われない場合があること)を解決する助けになったことを紹介した。今回はこの成功の裏にあった理論を考えてみよう。
 
 マッチング制度で鍵となるのは、できるだけ病院にも学生にも不満がでないことである。今、仮に、現在のマッチングに不満をもつ学生がいて、その学生がもっと行きたいと思っている病院の定員に空きがあったらどうだろう? あるいはその病院の定員が埋まっていた場合でも、今採用している学生よりこの学生の方が望ましいと病院側が思っていたらどうだろう? こうしたケースでは、この学生と病院のペアは現状のマッチングに従わず、自分たちで新たなペアを組み直すだろう。こうした学生と病院のペアがいないマッチングのことを「安定マッチング」という。
 
 学生A、B、Cと病院1、2、3、が存在する市場を考えてみよう。学生Aは第1希望が病院1、第2希望が病院2、第3希望が病院3、学生Bは第1希望が病院1、第2希望が病院2、第3希望が病院3、学生Cは第1希望が病院2、第2希望が病院1、第3希望が病院3だとしよう。また、病院1は学生A,B、Cの順で、病院2は学生A、C、Bの順で、病院3は学生A、C、Bの順で学生を採用したいとしよう。
 
 この場合、3つのペアができる。学生Aと病院1のペアは第1希望同士、学生Cと病院2のペアも不満はないだろう。学生Bと病院3のペアも、ほかによりよい選択肢がない以上、最後は納得するだろう。従ってこのマッチングは安定的といえよう。
 
 アメリカで当初採用されていた仕組みでは、どの学生と病院がマッチするかが制御されていなかったため、安定マッチングがなかなか成立しなかった。そうした場合、市場は不安定になりやすい。実際、中央集権的な制度ができる前は、ある病院に就職する約束をした学生が、後で他の病院からの採用を受けて、初めての病院との約束を破る事態が頻発した。こういった不安定性が当初の仕組みがうまく働かなかった理由の一つかもしれない。
 
 さて、マッチング制度を設計する際には安定マッチングを実現させることが重要だということがわかった。次の問題はどうすればそれをみつけることができるのか、何か系統だった方法があるのかということである。次回はこうした問題を考えてみたい。
 
 
[4] アルゴリズムが重要に
 
 前回は安定マッチングの考え方を紹介した。マッチングが安定であるとは、現状に不満をもって、お互いに勝手にマッチしたがるような受け入れ希望者と受け入れ相手がいないということだった。驚くべきことに、安定マッチングを必ず見つける(実現する)方法の存在が知られている。その方法はそれを考案した研究者、ゲールとシャプレーの2人の名前にちなんで「ゲールシャプレーアルゴリズム」と呼ばれている。
 
 このアルゴリズムでは、まず希望者と受け入れ相手がおのおのの希望者ランキングを提出する。それをもとにマッチメーカーが以下のように仮想的な市場をシミュレートする。まず、各受け入れ希望者は自分の第1希望の受け入れ先に応募する。各受け入れ先は応募者の中から望ましい希望者を定員が埋まるまで仮採用し、残りの希望者を不採用にする。不採用にされた希望者は、第2希望の受け入れ先に応募する。各受け入れ先は現在仮採用している受け入れ希望者と新たに応募してきた希望者の両方の中から定員が埋まるまで仮採用し、残りの受け入れ希望者を不採用にする。これを、新たに不採用になる受け入れ希望者が出なくなるまで続けるのである。
 
 このアルゴリズムで決定されるマッチングが必ず安定的になることは、次のようにしてわかる。ある受け入れ希望者Aがアルゴリズムで指定された受け入れ先1よりも他の受け入れ先、例えば2を好むとしよう。するとAはアルゴリズムのどこかの段階でこの受け入れ先2に不採用にされていなければならない。ということは、この受け入れ先2の定員はいつかの段階でAよりも望ましい受け入れ希望者で既に埋まっているはずである。このため、Aがアルゴリズムの結果を無視してこの受け入れ先2とマッチしたいと思っても、受け入れ先2の方にはそうしたい理由がないのである。
 
この方法が学会で発表されてしばらくの間、この方法は所詮(しょせん)机上の空論だと思われていた。といころが、後にハーバード大学のロス教授が、実はこれとほぼ同じ方法がアメリカの研修医マッチングで使われていることを指摘した。理論的に望ましい制度が現実にも大きな成功を収めていたという発見は、経済学者の間に大きなインパクトを与え、理論の発展に大きく寄与した。実際この方法は多方面で採用され、大きな成果をあげている。日本の研修医マッチング制度もこのアルゴリズムを採用したものである。 

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