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『ゲーム理論』とマーケットデザイン(VCASIフェロー・スタンフォード大助教授 小島武仁) (後半)

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[5] 嘘は得にはならない
 
 前回みたゲールシャプレーアルゴリズムを用いれば、必ず安定マッチングを発見できる。しかしこれだけでは、現実問題に実践するには十分な理由ではないだろう。というのも研修医の例でいうと、自分の希望順は各学生や病院だけしか知らない情報なので、マッチングの主催者は参加者が嘘(うそ)をつく可能性を絶えず気にする必要があるからである。
  幸いゲールシャプレーアルゴリズムの下では、どの学生にとっても自分の希望を正直に報告することが最適な行動になっていることが知られている。ごく簡単にいうなら、このアルゴリズムでは学生はある病院に不採用になっても次の病院に応募して差別なく選考してもらえるので、安心して希望順に応募できるからである。このため、学生が嘘をつく心配はあまりないということがわかる。
  ところが残念なことに、病院は嘘をついて得する場合がある。これは実際より採用条件を厳しく申告すると学生たちの競争をあおり、良い学生を自分の方に応募するように仕向けられることがあるからである。さらに悪いことに、アルゴリズムをどのように改良しても、この種の嘘を完全に防ぐことはできない。そのことまで理論的に証明されている。
  この問題は学問的な興味にとどまらず、政策課題として問題になったことがある。1990年代にアメリカでは医学生の学生運動が盛んになったが、そこではアメリカ研修医マッチング制度が、正直者に不利な制度になっているとして厳しく批判された。
  しかし、それまでは現行のゲールシャプレーアルゴリズムで病院は嘘をついて得する場合がある、という事実だけが知られており、実際の市場で参加者が嘘をつく危険性が高いのかどうかまではよくわかっていなかった。もし実際に嘘をついて得する可能性がほとんどない(あってもごく小さい)のならば、このアルゴリズムを使うことに重大な障害とはならないのではないか? ハーバード大学のロス教授らはそう考え、学生と病院が提出したデータを用いて、嘘をついて得する参加者がどのくらいいるのかを計算した。その結果、驚くべきことに4000近い病院のうちで、得するのは多く見積もってもわずか20から30程度の病院にすぎないことがわかった。
  筆者の分析によると、市場参加者の数が多くなればなるほど、病院が嘘をついて得する可能性が減少することがわかった。従ってアメリカや日本の研修医マッチングでは実際上の問題点はほぼクリアされている。
 
[6] 学校選択にも応用
 
 近年、マッチング理論の新しい応用先がたくさん見つかっているが、特に重要なのが「学校選択制度」である。学校選択制とは公立学校の生徒が既存の通学区域にしばられることなく、複数の選択肢の中から自由に学校を選べるようにする制度である。
  学校選択制は1980年代後半から各国で導入され、教育問題の重要テーマとして多くの国で高い関心を集めている。日本でも全国で導入が進められており、例えば東京23区のうち多くの区がなんらかの選択制を採用している。
  日本では学校選択制に対して反対意見も依然として根強いようだが、学校選択制度の実際のユーザーである保護者の間での評判は上々。例えば、2005年に行われた内閣府の調査によると、全国の保護者の65%が賛成する一方、反対は10%にとどまった。
  ひとくちに学校選択制といっても、実際の仕組みには様々なバリエーションが考えられる。学校選択制度を早くから導入してきたアメリカでは、当初の制度に問題があることが早くから明らかになっていた。例えば、アメリカ最大の公立学校区であるニューヨーク市では毎年9万人ほどの生徒を公立高校に配属するが、2000年代、改革が行われる前に行われていた方法は次のようなものだった。
 ①まず各生徒は進学希望の高校を5校まで書いたリストを退出する②各高校は独自に選考を行い、通知を行う③初めのラウンドで合格しなかった生徒は補欠者リストに入れられ、合格者の中から辞退者が出るのに従い、合格に繰り上げる――という仕組みである。
  この方法は時間が非常にかかったため、マッチングを3回繰り返した時点で打ち切られ、この時点でマッチし損なった学生たちは希望した公立高校に行けないまま、自治体の決めた学校(通常は近所の公立高校)に入学させられた。
  この方法では多くの学生が希望通りの高校に行けない可能性が高い。実際、当時公立高校への進学を申し込んだ9万人ほどの生徒のうち、3万人が希望リストに書いたどの高校にも行くことができなかった。
  さらにこの制度のもとでは、学生は自分の希望を正直に申告すると損をしてしまう可能性があった。というのは、自分が第1希望以下の高校に入れるチャンスが著しく減ってしまうためである。これらの問題を受けて、ニューヨーク市は03年から新しい制度を導入した。
 
[7] 学生の不公平感を解消
 
 前回は学校選択制度を説明し、ニューヨーク市が2003年度から順次制度を導入したことを紹介した。今回はその経済学的な意味について考えてみたい。
  学校選択には様々な側面があるが、学生と学校のマッチングとして捉(とら)えることができる。学生は学校に対して希望する順番のランキングを持っているし、学校側も学生に対して優先順位を設定していることが多いからである。例えば、学生Aが学生Bよりも学校の近くに住んでいれば、学生Aの入学を優先する、といった具合にである。
  数学的にはこの優先順位をあたかも学校が学生に対して持っているランキングとみなすことができるので、学校選択の問題は研修医のマッチングと実は同じ構造をしている。
  学校選択に当てはめると、マッチングが安定しているというのは、ある学生と学校があって、学生はその学校に行きたいのに行けず、一方、その学校には定員に空きがあるか、もしくは、その学生よりも優先順位の低い学生とマッチしている(組み合わされている)といった事態が起きていないこと、すなわち、優先順位の高い学生が希望する学校に行くことができないといった不公平(不満)が発生していないことを意味している。
 ここで以前解説したゲールシャプレーアルゴリズムを思い出そう。このアルゴリズムを用いると、必ず安定したマッチングになるので、学生の不満を解消できる。さらに、学生たちにとっては希望を正直に言うのが最適な行動であるから、この仕組みは学生や保護者にとってもわかりやすく、透明性の高い方法だといえよう。このアルゴリズムの欠点は、受け入れ側が嘘(うそ)をついて得することがあることだった。しかし、多くの学区では学生の入学許可の優先順位は法律で決められていて学校にそもそも裁量権はないので、この点はほとんど問題とならない。かくして、このアルゴリズムは公平かつ効率のよい仕組みになっており、学校選択の新しい方法として大いに注目を浴びることになった。
  ニューヨーク市でマッチングの方法として新たにこのアルゴリズムが採用された結果、希望の高校に行けなかった学生の人数が新制度の導入の初年度に早くも10分の1にあたる3千人にまで急減したという。ボストン市でも既存の制度を変更、学校選択にこのアルゴリズムを取り入れた。アメリカの公立学校ではマッチングの方法としてこのアルゴリズムを採用する動きが各州で広がっている。
 
[8] 注目集める臓器交換
 
 最終回はマーケットデザインの考え方の広がりを感じてもらうため、話題を変え、医療問題への応用例を紹介しよう。脳死の問題にからんで大きな関心を集めている臓器移植は様々な病気に有効な治療法である。腎臓の場合、日本では今も少ないが、アメリカでは1万件もの腎移植が脳死者を含む死者から、6千件以上が生体から移植されている。その一方、アメリカで腎臓移植を待っている患者の数は7万人にものぼり、毎年4千人の患者が移植を受けられないまま亡くなっている。
 生体腎移植でドナー(臓器提供者)になるのは、通常家族や親しい友人などであるが、ドナーが臓器提供を希望していても、必ずしも移植が可能であるとは限らない。拒否反応が起きないために患者とドナーの臓器に適合性がなければならないからである。
  例えば、血液型がA型のドナーの腎臓は、B型の患者には不適合である。血液型以外にも不適合を起こす条件があり、臓器提供する意思のあるドナーがいるにもかかわらず、移植ができない患者が数多く存在することは移植医療にとって大きな問題である。
  そこで近年注目を集めているのが、臓器交換という考え方である。仮にA型の患者に臓器提供の意思示しているB型のドナーがおり、他方、B型の患者に対し、臓器提供の意思を示しているA型のドナーがいるとしよう。血液型の不適合のため、このままではどちらの患者も移植を受けることができない。しかし、この2組のペアを引き合わせ、ドナーの交換をしたらどうだろう。両方の患者が移植を受けられるようになるかもしれない。
  臓器交換で多くの患者への移植を実現するには、様々なハードルや課題がある。そもそも交換を希望するペアが誰であるかを知るために、データベースを整備する必要があるし、なるべくたくさんの交換可能なペアを見つけ出す仕組みをつくる(アルゴリズムを開発する)ことも必須である。さらに実際に臓器移植をする際のロジスティクス(一連の作業手順)を決めることも課題となるだろう。こうした問題を解決するため、アメリカでは経済学者、医師、コンピューターサイエンティストなどが協力して臓器交換ネットワークの整備に乗り出している。