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VCASI公開研究会『障害の社会モデルのリハビリテーション』

2009年8月29日(土)、VCASI公開研究会『障害の社会モデルのリハビリテーション』が開催された。発表者は、フェローの川越敏司(公立はこだて未来大学複雑系科学科)、「インクルーシブな社会を目指した障害者政策の構築」プロジェクト・メンバーの川島聡(東京大学大学院経済学研究科)と星加良司(東京大学先端科学技術研究センター)、そして倉本智明(東京大学大学院経済学研究科)であった。この研究会では、国連・障害者の権利条約をはじめ、近年の障害認識の共通基盤となりつつある「障害の社会モデル」のもつ社会理論としての側面を、経済学・社会学・法学の見地から学際的に、批判的に再検討する機会をもった。

はじめに、第1部総論として、星加から「障害の社会モデルとは何か」の報告があった。この報告では、障害者の受ける不利益を、身体的・知的・精神的な機能不全(インペアメント)のみに由来するとする医学モデル(個人モデル)に対し、障害者の社会参加上の様々な障壁や抑圧(ディスアビリティ)に注目する社会モデルの特徴を、その歴史的起源から始めて、近年の批判的な視点まで含めて整理して報告され、以下の議論の基本設定の確認がなされた。


次に、第2部では、はじめに川島より論文「社会モデルの因果論的構成」の報告があった。この報告によれば、障害の社会モデルは、曖昧な概念である。その曖昧さゆえに、社会モデルは、障害にかんする実務と研究に混乱を招いている。社会モデルの意味内容を一義的に特定することで、社会モデルのモデルとしての意義と限界がいっそう明確になると同時に、障害学の本質的な課題も明らかになり得る。かかる問題関心から、本報告で川島は、因果論と規範論を同居させてきた従来の社会モデル理解の中から因果論の部分のみを取り出して、社会モデルを「障害者の不利の因果論モデル」として再構成した。そして川島は、このような再構成の障害学に対する含意を指摘した。

続いて、倉本から「障害学における多層性と実践性」の報告があった。報告では、イギリスやアメリカの障害学の発展と対比して、日本における障害学は独自の発展をしてきたこと、特に、社会モデルについては、紹介された当初は、すでに日本で取り組まれている試みに比較して目新しいことがない点で、あまり注目されていなかったことが指摘された上で、障害学が社会モデルに限定されつつある傾向に批判的な目が向けられた。障害学の持つ多様性を維持し、その実践的な影響力を発揮するには、社会モデルの果たす役割に期待しつつも、全体をまとまりのある統合体として維持するために、「批評としての障害学」というアプローチがひとつの方法として提唱された。

川越は、「障害の社会モデルと集団的責任論」を報告した。報告では、障害者の受ける不利益の源泉を生み出した社会の責任として、社会は障害者への配慮を提供すべきだとする責任帰属論に対し、これを規範的倫理学における責任に基づく平等論と同様の主張であることを確認した上で、社会という集団に責任を追及できるか否かについて、哲学における集団的責任論における論争を吟味し、個人の責任の総和としての共同責任を超えるような、集団それ自体の責任は存在し得ないことを示された。その上で、障害者の配慮の提供を責任にもとづいて基礎付けるのではなく、障害者への配慮の提供がむしろ社会の効率性を増進するのでそうすべきだという説得の論理の方が有効である点を、
アファーマティブ・アクションに関する最近の実証研究をふまえて主張された。

再び星加より「社会モデルの分岐点ー実践性は諸刃の剣?ー」の報告があった。報告では、はじめに、医学モデルとの対抗として生まれた社会モデルの受容過程において、家族や支援者などの狭い社会関係における働きかけのみが対象とされたり、解決の方途が見えやすい領域に適用が限定されるといった矮小化が生じていることが指摘された。次いで、イギリス障害学に見られる社会モデルへの批判の検討を通じて、ディスアビリティ/インペアメントの分析的区別という社会モデルの基本構造そのものは有益な知の生産を阻害しないが、それが政治的有効性の観点から評価される実践性の主張と結びつくことによって、ある種の危険性を内包することになることが示された。


第3部のパネル討論会では、4人の発表を受けて、障害学が主に身体障害者を念頭においていて、知的障害者や精神障害者などまで視野に入れて今後どのような発展を望むべきなのかといったことや、障害学の理論的分析とその実践性のバランスをどうするのか、といった議論がなされた。


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