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マーケットデザインが経済を変える

マーケットデザインが
経済を変える
『経済危機「100年に一度」の大嘘 CONUNDRUM 2009 Summer』(講談社BIZ)より

安田洋佑:政策研究大学院大学助教授  

 サブプライムローン問題に端を発する一連の世界的な金融危機により、資本主義経済への信頼が揺らぎ始めている。市場という制度の持つ欠陥、すなわち経済学で古くから知られてきた「市場の失敗」が、もはや誰の目にも明らかになりつつあるのだ。市場の失敗をどうやって克服するのか、機能不全を起こした市場に代わって新たな経済制度をどのように設計すればよいのか、という問いは現代社会に突きつけられた最も重要な政策課題と言えるだろう。この困難な問題に立ち向かっているのが、筆者も研究に携わっている「マーケットデザイン」と呼ばれる新たな分野である。本稿では、近年発展の著しいこのマーケットデザインの考え方について、その現実への応用例を紹介すると共に理論的な背景についても解説していきたい。
 
 

1:マーケットデザインってなに?

 
  多くの読者の方にとって、マーケットデザインという言葉には馴染みがないだろう。おそらく、初めて耳にされる方が大半ではないだろうか。マーケットデザインは、経済学(特にゲーム理論)で得られた最新の知見をいかして、現実の経済制度の修正・設計を行う新しい研究分野である。詳しい理論的な背景については後述することにして、ここではマーケットデザインが、以下の2つの重要な特徴を持っていることをまず指摘しておきたい。
最初の特徴は、その工学的な側面についてである。単なる机上の空論をもてあそぶのではなく、マーケットデザインでは実験およびシミュレーションを通じて、理論の妥当性や実用性についての検証を行っている。現実の制度設計を行う上で、理論を補完するこうしたチェック機能は欠かすことができない。
もう一つの大きな特徴は、その実践的な側面についてである。経済学に限らず多くの学問分野(特に社会科学系)では、学者の考えたアイデアがそのまま実用化されて世の中の役に立つ、ということは極めて稀である。ところが、マーケットデザインでは、経済学者の提案した新たな制度がダイレクトに現実の世界に応用される、ということが珍しくない。実際に、こうしたマーケットデザインの実践が、欧米諸国を中心に近年急速に進んでいるのである。以下では、細かい理論に関する抽象的な話は後回しにして、まずはこのような現実への応用例を見ていくことにしよう。
 
 

2:マーケットデザインの実践例

2―1:周波数帯オークション

 
最初に紹介するのは、マーケットデザインの実践例の中でも、金銭的に最も大きな成功をおさめた、無線周波数帯のオークションである。公共電波の利用権をオークションで売却する、という発想は日本では馴染みがないが、約20年前の1990年にはすでに、ニュージーランドで最初の周波数帯オークションが実施されている。
一般に、(適切にデザインされた)オークションは、買い手同士の競争を通じて、販売される財に対して最も高い価値を持つ買い手が落札する、という性質を持つことが知られている。楽天などのネットオークションを考えると、この現象はイメージしやすいだろう。最終的にオークションの勝者となるのは、その財を最も欲しいと思っている買い手なのだ。このアイデアがまさに周波数帯オークションでもいかされている。
 電波利用に即して言うと、特定の周波数帯に対して最も高い価値を持つ買い手というのは、その周波数を利用して最も高い利益をあげられる事業者であることを意味する。つまり、オークションは効率的な電波利用をもたらす強力なツールなのである。しかし、周波数帯オークションの場合には、通常のネットオークションなどでは発生しない複雑な問題が生じてしまう。それは、売りに出される周波数帯が複数あるため、個々の買い手から周波数帯の価値に応じた入札行動を引き出すのが難しい、という問題である。
たとえば、ある事業者にとって、Aという周波数帯とBという周波数帯を両方利用できればその価値は非常に大きいが、片方しか落札できない場合には価値がほとんどない、といった状況を考えてみよう。この時、オークションの仕組みが適切にデザインされていないと、片方の周波数帯しか落札できないというリスクを恐れて、買い手はAとBに対する高い価値を入札に反映させることができないかもしれない。逆に、一つ目の周波数帯の価値は大きいが、二つ目の周波数帯に対してほとんど価値を持っていないような事業者を考えてみるとどうだろう。この場合には、間違って両方の周波数帯を高値で購入してしまうことを恐れて、Aだけ、Bだけといった個々の周波数帯の入札に対しても慎重になってしまうかもしれない。実際に、ニュージーランドで行われた世界初の周波数帯オークションでは、こうした入札行動に伴う問題がクリアされておらず、オークションが当初期待されていたパフォーマンスをあげることができなかったと言われている。
この反省をふまえ、米国の連邦通信委員会(Federal Communications Commission: FCC)は、オークション理論の専門家である経済学者をコンサルタントとして雇い、1993~4年に独自の周波数帯オークション(「FCCオークション」)を設計・実施した。これがオークションにおける最初の本格的なマーケットデザインの実践例である。FCCオークションでは、複数の周波数帯を同時に売りに出すことで、先ほど紹介したような入札に伴う買い手のリスクを抑えつつ、適切な入札行動を可能にする「同時競り上げ式オークション」と呼ばれる仕組みを採用した。この画期的な方法は大成功をおさめ、「史上最高のオークション」(ニューヨークタイムス、1995年)と賞賛され、大きな注目を集めた。
 一方、大西洋をはさんだ向かい側のヨーロッパでは、2000~1年にかけて第三世代携帯電話の周波数帯オークション(「3Gオークション」)が実施された。イギリスやドイツなど、各国でオークション理論の専門家が雇われ、その制度設計に尽力することで活躍した。その結果、たとえば2000年にイギリスで行われた3Gオークションでは、なんと225億ポンドにのぼる莫大な収益を生み出すことに成功している。日本の人口規模に換算すると(一人あたりの収益が同額だとすると)、これは10兆円近い数字になる。マーケットデザインによって、これだけ大きな額の金銭が動くとともに、効率的な電波利用が促進されているのである。
 

2ー2:研修医マッチング

 
次に紹介するのは、労働市場での実践例である研修医マッチングだ。医学部の卒業生が、医師としてひとり立ちする前に病院で実地研修を行う研修医制度は、各国で採用されている。日本においても、近年の医療制度改革目玉として、2004年から必修の臨床研究医制度が発足し、医学部卒業生に2年間の研修が義務づけられたことは記憶に新しい。この研修制度とあわせて、どの研修医がどの病院で働くかを一定のルールに従って決める画期的な方法として採用されたのが研修医マッチング制度である。
 具体的には、各学生が自分の行きたい病院のランキングを、各病院が欲しい学生のランキングをそれぞれ提出し、それらのランキングに基づいてマッチングの運営主体(日本では「医師臨床研修マッチング協議会」http://www.jrmp.jp)が、中央集権的に学生と病院をマッチさせている。2004年の導入以降、毎年約8500人の学生がこの新たなマッチング制度によって研修先の病院へ割り当てられている。
もちろん、一口にマッチング制度と言っても、提出されたランキングからどのように学生と病院をマッチさせるか、というルールが肝心で、このルールが異なれば、結果的なマッチングのパフォーマンス――たとえばどれだけ多くの学生がより希望する病院にマッチできるか――も大きく変わってくるだろう。現在日本で運営されている研修医マッチングの仕組みは、アメリカでマッチング制度の見直しが行われた1998年に、経済学者のアドバイスに従って導入された「ゲイル―シャプレーアルゴリズム」(「GSアルゴリズム」)と呼ばれる方式である。
 具体的には、GSアルゴリズムは以下のルールに従って学生と病院をマッチさせている。なお、説明の便宜上「応募する」という表現を用いているが、これは各学生が実際に応募するわけでなく、提出されたランキングに従って運営主体(典型的にはコンピュータープログラム)が学生の代わりに機械的に応募しているだけなので、注意して欲しい。
 
ステップ1:各学生は、自分の第一希望の病院に応募する。各病院は、応募してきた学生の中から欲しい学生を上から順番に定員が埋まるまで暫定的に採用(仮マッチ)し、残りの学生を不採用にする。
 
ステップt:ステップt-1で不採用にされた各学生は、まだ自分を不採用にしていない病院の中から第一希望の病院に応募する。各病院は、このステップで新たに応募してきた学生と現在仮マッチしている学生を合わせて、その中から欲しい学生を上から順番に定員が埋まるまで仮マッチし、残りの学生を不採用にする。
 
終了ルール:新たに不採用にされる学生が一人もいなくなった時点でアルゴリズムが終了し、各病院がその時点で仮マッチしている学生を正式に採用する。
 
 この仕組みは、理論的にも実証的にも、マッチングを公平かつ効率的に行うことができる理想的な方法であることが明らかにされている。キーとなるのは、各ステップで実現するマッチングが正式なマッチではなく、仮マッチである、という点である。各学生は、(暫定的な仮マッチによって)定員がすでにうまっている病院にも後から応募することができるため、自分のランキングを偽って報告しても得することができない。つまり、本当は第二希望や第三希望の病院を、あえて第一希望にリストしても全く意味のない仕組みになっているのだ。上から順番に素直に行きたい病院を並べるのが最適となるため、学生達は複雑な計算をする必要が一切ないのである。
さらにこの仮マッチのアイデアは、マッチングの効率性に関する驚くべき性質をもたらすことが知られている。いま仮に、ある学生がGSアルゴリズムによって、第k希望の病院に採用されたとしよう。この時、おそらくこの学生にとって最も気になるのは、より望ましいと思っている病院(第1~k-1希望の病院)に採用の可能性が残っているかどうか――それらの病院に採用された学生たちよりも病院からみた自分の優先順位が高い場合があるかどうか――という問題だろう。実は、この問題はGSアルゴリズムの産みの親であるゲイルとシャプレーによって半世紀近く前に解かれており、より望ましい病院から採用されるチャンスは全く残されていない、ということが明らかにされている。第1希望から第k-1希望までのすべての病院において、実際に採用されている学生はこの学生よりも優先順位が高い学生たちなのである。
 これは言い換えると、GSアルゴリズムでマッチした病院は、自分の手の届く範囲の病院の中で、その学生にとってもっとも望ましい病院であることを意味する。しかも、この性質はすべての学生について同時に成り立っているのである(詳細は省くが、病院についてもこの性質は成り立っている)。GSアルゴリズムは、各人にとって最適なパートナーを見つけることを可能にする、極めて単純かつ強力なツールなのだ。このように、経済理論の知見をいかしたマッチングの仕組みが、研修医制度のような現実の労働市場において役立てられているのである。
 

2―3:腎臓交換メカニズム

 
ここまで紹介してきた二つの例は、ある意味で従来のマーケットと非常に近い関係にあるものだった。オークションは実際にお金のやりとりが発生する金銭的な制度であるし、マッチングも、労働市場という現実のマーケットをターゲットとしている。しかし、マーケットデザインの考え方は、こうした標準的なマーケットだけではなく、一見するとマーケットのイメージからはかけ離れたような世界においても応用され始めているのだ。三番目に紹介する腎臓交換メカニズムは、数あるマーケットデザインの実践例の中でも、おそらく最もセンセーショナルで意外性の強いものだろう。
 世の中には、倫理的な理由などから、金銭的な取引が禁止されている財やサ-ビスがたくさんある。筆者の職場である大学を例にとってみても、教授のポストや、授業の単位、秘書さんの笑顔(?)などは市場で取引されていない。腎臓交換メカニズムと関連する(人間の)臓器売買も、主として倫理的な理由から、多くの国と地域で法律的に禁止されている。違法な売買(=ブラックマーケット)を除けば、市場取引を通じて円滑な臓器移植を実現することは不可能なのである。このため、一般に臓器移植を希望する患者は、死亡者からの臓器提供を受けるための長い順番待ちに耐えなければならない。たとえば、現在アメリカでは7万人を超える腎臓病患者が移植の順番を待っている一方で、その中から1年間に移植手術を受けることができるのはわずか1万人強に過ぎない。結果的に、移植の願いの叶わなかった患者の命が、毎年数千名分も失われているのだ。腎臓交換メカニズムは、こうした不幸な患者を救い、できるだけ円滑な臓器移植を実現するために考案された新しい仕組みである。
 腎臓移植が他の臓器移植と大きく異なる点は、死者や脳死者からだけではなく、生きた臓器提供者(=ドナー)からの移植が可能であることだ(肺と肝臓もドナーからの移植可能)。腎臓は各人が二つずつ持っており、(健康体であれば)その一つを移植によって失っても、生活上の支障は特に生じない。ただし、どんな腎臓でも移植可能というわけではなく、血液型に代表されるいくつかの適合条件を満たさない限り、拒絶反応を起こしてしまうため移植手術は成功しない。これは、次のような悲劇を生み出す。いま仮に、腎臓病で苦しんでいる夫に、奥さんが自分の腎臓を移植して欲しい、とドナーを願い出たとしよう。もしも彼女の腎臓が夫の身体との適合条件を満たせば、無事に移植することができ、めでたしめでたしなのだが、適合条件があわなかった場合には、せっかくのドナーが現れているにも関わらず移植することができない。そして現実にも、このような適合条件が合わない不幸な患者とドナーのペアは、非常に多く存在するのだ。
腎臓交換メカニズムは、こうした不幸なペアを集めて、一定のルールに従ってパートナーを組み直す(=交換する)ことによって、できるだけ多くの適合条件を満たす――つまり腎臓移植を成功させる――ための仕組みなのである。この画期的なアイデアが経済学者によって提唱されたのは2004年のことで、まだ月日がほとんど経っていないにも関わらず、すでにアメリカ東部のニューイングランド地方では実施され始めている。マーケットデザインが人の命を救っているのだ。
 

2―4:学校選択制

 
最後に取り上げる学校選択制も、三番目の腎臓交換メカニズムと同じく、我々のイメージする標準的なマーケットからかけ離れた実践例と言えるだろう。学校選択制とは、公立学校の生徒たちが、従来の通学区域にしばられることなく、複数の選択肢の中から学校を選べるようにする新しい制度である。1980年代後半から各国で導入がスタートした学校選択制は、多くの国において教育問題の中心的なテーマとして高い関心を集めている。
 日本でも、1998年の三重県紀宝町を皮切りに全国で導入が進められており、たとえば東京都では、平成21年度現在、小学校で15区8市、中学校で19区11市が学校選択制を実施している。アンケート調査や諸外国での経験を照らし合わせて見ても、公立学校に対する選択の自由をもたらす学校選択の考え方は、生徒や両親から幅広い支持を受けていることが分かる。しかし一方で、その具体的な運営方法については、現在でも実務家と研究者の双方から活発に議論が交わされている。
 アメリカのニューヨーク市とボストン市では、旧来の学校選択制に制度疲労が生じ、種々の弊害が目立ち始めたことをきっかけとして、2000年代に入ってから相次いで経済学者のグループに制度の見直しを依頼した。その結果、ニューヨークでは2003年、ボストン市では2005年にそれぞれ経済学者が提案した新制度へとルールが変更されている。ちなみに、両市で採用された新制度は、二番目の例である研修医マッチング制度において紹介した、GSアルゴリズムを微修正したものだ。両市では毎年数万人にのぼる生徒たちが、この新しい学校選択制の下で学校選択を行っている。このように、マーケットデザインが教育も変えつつあるのだ。
 
 

3:理論的な背景

 
さて、マーケットデザインの代表的な実践例を一通り確認したところで、今度はその理論的な背景についても触れておきたい。冒頭で「マーケットデザインは、経済学(特にゲーム理論)で得られた最新の知見をいかして、現実の経済制度の修正・設計を行う新しい研究分野である」と紹介させて頂いたが、このインフォーマルな定義をみて、次のような疑問――「どのような点でマーケットデザインは新しいのか?」「ゲーム理論とは何か?」「ゲーム理論はどのように役立つのか?」――を抱いた方も多いのではないだろうか。以下では、これらの問いに答えながら、マーケットデザインの理論的なアプローチについてより詳しく分析していこう。
 

3―1:伝統的な経済学との比較

 
まずは、マーケットデザインのアプローチがどのように新しいのかを見ていきたい。伝統的な経済学は、経済制度を与えられたものとしてとらえ、主にその機能や帰結の分析に力を注いできた。分析対象の中心となったのは、完全競争市場と呼ばれる理想的な市場だ。そこで活躍する分析ツールは、経済学でお馴染みの需要と供給による分析である。完全競争市場においては、弱い技術的な制約のもとで効率的な資源配分が達成されることが知られており、これが「市場に委ねればうまくいく」という、消極的な姿勢を生み出してきたことも指摘しておきたい。一方で、完全競争市場を離れると様々な市場の失敗が起こるが、残念ながらそれらを克服して市場の質を改善するための統一的な分析手法は知られていなかった。このため、長きにわたり経済学は「受け身」の学問であったのである。
 一方のマーケットデザインでは、経済制度は与えられるものではなくイチから設計するもの、あるいは自分たちの手で修正していくもの、としてとらえる点が大きく異なる。その理論的な背景であるゲーム理論は、(想像上のものまで含む)ありとあらゆる経済制度を統一的な視点で分析する手法と共に、制度設計のためのガイドラインを提供した。これにより、完全競争市場を離れた制度の設計を行うことが可能になったのだ。現実には完全競争市場は存在しないし、どの二つとして同じ市場も存在しない。現実の市場をうまく機能させるためには、個々の市場の特性に応じたルールの整備や微調整といったマーケットデザインが必要なのである。以上の点を踏まえつつ、伝統的な経済学(ミクロ経済学)とマーケットデザインのアプローチに関する相違点をまとめたのが表1である。
 
伝統的な経済学 マーケット・デザイン
  • 制度は与えられたもの
  • 理想的な市場(=完全競争市場)を主に分析
  • 需要と供給
  • 市場に委ねればうまくいく
    →法律・慣習・規範や政府の役割の過小評価
    →机上の空論(?)
  • 制度をイチから設計
  • 完全競争市場から離れた経済制度を分析
  • ゲーム理論
  • 様々な市場の失敗
    →市場を機能させるための制度設計が重要
    →実践的応用!

 

3―2:ゲーム理論ってなに?

 
次に、マーケットデザインの理論的分析を支える屋台骨であるゲーム理論について簡単に解説を試みたい。ゲーム理論は20世紀半ばに誕生した数学の一分野である。1980年代以降その有用性が広く認識され、現在では、経済学を皮切りに政治学や社会学などの社会科学、さらには計算機科学や生物学などの自然科学にまで幅広く応用されるに至っている。その有用性や汎用性を生み出しているのが、ゲーム理論がもたらした以下の二つの大きな成果である。
 一つ目は、(原理的には)世の中のあらゆる社会現象や経済現象を「ゲーム」として記述することができる、という点だ。ゲームは、その現象に関係する当事者=「プレーヤー」、各プレーヤーに与えられた選択肢=「戦略」、プレーヤー達が選んだ戦略の組み合わせに応じて各人に与えられる得点=「利得」、という3要素から構成される。一見するとどんなに複雑そうに見える社会現象も、この3要素に分解してゲームとして記述することができる、というのがポイントだ。
 二つ目の成果は、ゲームの結果を予測する「解」という概念の発見である。せっかく複雑な現象をゲームの形で翻訳しても、もっともらしい結果を予測する解(=答え)が存在しなければ理論としては役に立たない。仏作って魂入れず、というわけだ。この難問を解決して、ゲーム理論に命を吹き込んだのが、2001年のアカデミー賞受賞映画「ビューティフルマインド」(http://www.abeautifulmind.com)の主人公としてお馴染みのナッシュである。彼が弱冠21歳で書き上げた博士論文の中で提唱した「ナッシュ均衡」という革新的な解は、(全てのプレーヤーについて)「仮に自分一人だけが戦略を変えたとしても得することができないような状態」を指す。一見すると、この定義から直接はその凄さが伝わりにくいかもしれないが、これはナッシュ均衡でない状況を考えてみると理解しやすい。
 仮にいま、あるゲームの結果(=戦略の組み合わせ)が、ナッシュ均衡でなかったとしよう。このことは、少なくとも一人は自分の戦略を変えて得することができるようなプレーヤーがいることを意味する。そうしたプレーヤーは戦略を変えるインセンティブを持つため、そもそもの結果が安定的にはならないだろう。つまり、ナッシュ均衡でない状態というのは不安定なのである。逆に言うと、社会で安定して観察される現象というのは、対応するゲームのナッシュ均衡になっているはずなのだ。ナッシュはさらに、ほぼすべてのゲームにおいて、ナッシュ均衡がきちんと存在することも証明した。この重要な結果によって、我々が実際にゲーム理論を使う場合には、解であるナッシュ均衡が見つからない、といった困った事態を心配しないですむのである。
 ここまでの議論をふまえると、ゲーム理論によって経済制度を以下の単純な手続きで分析できることが分かる。まず、分析対象である制度においてプレーヤー、戦略、利得の3要素を見つけだし、ゲームとして定式化する。次に、定式化されたゲームのナッシュ均衡を求める。最後に、ナッシュ均衡によって導かれた結果を分析、検証すればよい、というわけだ。以上の三段階の手続きによって、世の中のありとあらゆる複雑な社会現象が(原理的には)ゲーム理論によって分析できてしまうのである。周波数帯オークションのデザインに応用されたオークション理論や、研修医マッチングで活躍したマッチング理論などは、いずれもゲーム理論の一分野である。ゲーム理論がもたらした新しい知見が、現実のマーケットデザインを支えているのである。
 

4:おわりに

 
最後に、手前味噌で恐縮だが、私自身の携わっているマーケットデザインの実践について紹介させて頂きたい。筆者は現在、フェローとして所属するVCASI(ヴィカシ:東京財団仮想制度研究所)において「学校選択制デザインプロジェクト」という、学校選択制に焦点を絞った研究グループのプロジェクトリーダーを務めている。そこでプロジェクトが発足した2008年10月以降、自治体へのヒアリング等を通じて日本における学校選択制の現状について調査すると共に、学校選択制に関する最新の学術成果や海外における制度変更の事例を研究しながら、望ましい学校選択制の制度設計に向けて他の参加メンバーと共同で取り組んでいる。(詳細については以下のウェブサイトを参照頂きたい:http://www.vcasi.org/scdp/273#
 日本では、多くの市区町村において「各学生に通学指定校の椅子を確保しつつ、市内の学校の中から(希望があれば)指定校以外の学校を一つだけ選択させる」という運営方法が採用されている。ニューヨーク市やボストン市で採用された新制度とは異なり、リストの提出を通じた幅広い選択を許していない反面、たとえ抽選にもれても地元の通学指定校へは必ず行けるようになっている点が特徴的だ。ニューヨーク市やボストン市で用いられていた古い学校選択制が機能不全を起こし制度変更に至ったように、我々は日本においても一部の自治体でこの現行制度に問題が生じている危険性があると考えている。今後も教育現場と連携を取りながら現実と理論をうまく融合させ、より良い学校選択制の実現を目指して積極的に活動していきたい。
 マーケットデザインは、実務的にも学問的にも1990年代以降急速な発展を見せており、現在でも新しい問題や発見が次々と生まれてきている。本稿をきっかけに、一人でも多くの読者の方にマーケットデザインの広がりと可能性を感じとって頂ければ、書き手としてそれに勝る喜びはない。
 
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