Language: 日本語 English

「日本の『長い近代化』と市場経済」 中林真幸(VCASIフェロー、東京大学准教授) (前半)

VCASIフェロー、中林真幸氏(東京大学准教授)の記事が2009年11月20日から日経新聞「やさしい経済学」にて8回にわたって連載されました。 記事第1回~第4回を許可を得て転載します。

[1] 400年前が出発点

  人が所有物を交換するのは、自分の効用が増えるときである。従って、他の人々との交易を可能にする仕組みを作れば、人々の効用の総和である社会的厚生を増やすことができる。しかし、初めて見るモノの品質を契約前に知るのは容易ではない。契約後に相手の行動を監視することも、離れていれば難しく、代金を踏み倒されてしまうかもしれない。

  契約前の情報の格差(非対称性)ゆえに起こる問題や、契約後に情報の非対称性につけこむ行為から生ずる損失をいかに抑え、取引を成り立たせるか。ひとつの方法は長期の取引関係をつくることである。室町時代以前の商人は、地域を越えたネットワークを作って互いの裏切りを防ぎ、交易していた。

  しかし、それは取引の範囲を顔の見える友人や身内に限る制度である。見知らぬ相手とも取引できる、私たちの知る自由な市場経済ではない。自由な市場経済を作るにはどうすればよいか。答えは一つしかない。強い第三者、すなわち、国家を造り、その司法機関に契約の執行を担保してもらうことである。

  日本の財市場にその制度を初めてもたらしたのは、織田信長をはじめ、領国一円の支配を背景に、楽市楽座政策を導入した戦国大名だった。江戸幕府はその制度を引き継いだ。町奉行の統治の下に発達した大阪や江戸が、日本経済の中心となったのである。

  明治維新後、政府は全国に裁判所を設置し、自由な市場を全国に広げた。労働市場と金融市場でも、裁判所の執行の下、自由な取引が行われるようになった。モノもヒトもカネも自由に動く市場は、企業がヒトとカネを組み合わせてモノを作る創意工夫を競いあう、資本主義経済を生み出した。

  400年前、日本経済は長い近代化の歴史を歩み始め、やがて、自由な財市場と労働市場と金融市場の上に成り立つ資本主義経済を発展させた。自由な市場経済が背負う400年の歴史。それは、情報の非対称性から問題が生ずるたびに、その穴をふさぐ制度を作る努力の積み重ねだったが、その根底には一貫した知恵があった。だからこそ、その歴史は同じ日々の繰り返しではなく、進歩をもたらしたのである。それは今の私たちの進歩に役立つかもしれない。そんな知恵に迫ってみたい。

[2] 秀吉が土地所有権保証


  平安時代以前の農業技術の水準は低く、収穫は自然環境に大きく左右された。実際に耕作していた農民の多くは、収穫量にかかわらず、一定の食料給付を受ける奴隷身分だった。農民の努力が効果を持たない条件下では、農民が余剰作物への請求権をもたない代わりに自然のリスクから守られる隷属的な身分制度は、ある意味、効果的な制度だった。

  しかし、鎌倉時代から室町時代にかけての生産技術の向上は、農民の努力による生産増大の可能性を広げ、実際に生産性は顕著に増大した。拡大した土地の収穫(利回り)への請求権を巡り、一揆が頻発した。生産増加分の一部を農民に与えることは、さらなる生産性増加の誘因になるので、長期的な税収増大にはむしろ望ましい。闘争の時代を経て、税率を一定として農民の請求権を保護する契約が、村と領主の間に結ばれるようになる。

  こうした慣行を土地所有制度として整備したのが、豊臣秀吉の太閤検地だった。すべての田畑は政府に登録され、農民の耕作権は保護された。年貢については事前に保証した税率が収穫高にかかわらず適用された。税率が50%なら、生産増加分の50%は農民に帰属することになったのである。税率は高かったが、農民の所有権を国が保証した意味は大きい。この制度は江戸幕府に継承され、さらに将軍徳川吉宗の代に、課税は定率から定額に改定された。定額課税では、追加的な努力による生産増加分はすべて農民に帰属し、誘因はさらに強められる。所有権を保証された農民たちは、農業技術の向上や購入肥料の増加など、経営者としての努力を土地に注ぎ込んだ。

  17世紀初めに約1200万人であった日本の人口は、18世紀初めには約3000万人に達する。その胃袋をまかなったのは、今や土地所有者として利益を受け取る。農民の意欲だった。

  ある資産の所有権とは、その資産を自由に利用する裁量権と、利用の結果として生ずる利益も損失も引き受ける請求権からなる。リスクという結果責任を引き受ける者には、所有権を保証することが望ましい。秀吉は所有権を引き受ける強い農民に賭けたのである。

  自由と責任が組み合わされる時、人は資産を最も効率的に利用する。逆に、責任を免除する保護と自由とを組み合わせてはならない。1980年代、政府が銀行への保護を残しつつ金融自由化を進めた結果、銀行は過剰なリスクを引き受け、バブルとその崩壊に日本経済を巻き込んだ。責任を引き受ける者には自由を――。江戸時代以来の、発展の法則である。

[3] モラトリアムを排除

  戦国時代以前、商人はカルテル(価格や販売地域などに関する協定)を結び、カルテル相互が長期的な取引関係を構築した。そうすれば、詐欺はカルテルからの排斥を招くため、割のあわない行為となる。カルテルは領主に独占の特許を認められ、独占利潤を得る代わり、取引統治(管理)機能を担っていた。鎌倉幕府や室町幕府の司法体制は弱体で、頻繁に徳政令(債務帳消し、モラトリアム)が発令されたから、カルテルはほぼ唯一の取引統治の制度だった。取引の範囲は、顔の見える関係内に限られていたのである。

  国の司法が取引統治に責任を持つことによって、長期的な関係によらない取引を可能にし、カルテル経済を自由な市場経済へ転換させること、それが戦国大名の楽市楽座政策だった。カルテルの独占特許を停止するとともに、徳政令を拒否し、債権債務関係の管理に責任を持つことを宣言したのである。

  その政策を継承した江戸幕府は、大坂や江戸の町奉行所を通じて司法業務を提供した。特に米市場の債権保護は徹底していた。江戸時代、大名は大坂に年貢米を販売する蔵屋敷を置いた。多くの場合、米販売に先立って、年貢米によって償還する短期藩債「米切手」が発行された。米切手取引所である堂島米会所では、先物と現物の両方が活発に取引された。世界最古の商品先物市場である堂島は、幕府司法制度の一つの到達点だった。

  米会所が発展を遂げ、諸般がその信用力に応じた利回りで米切手を発行できたのは、大坂町奉行所が米切手債務の踏み倒しを許さなかったからである。武士階級の政権である幕府が、なぜ町人である債権者を保護したのか。債権の保護をやめれば、財政の健全な藩を含め、すべての米切手の利回りは暴騰する。複雑な先物取引も成り立たなくなるだろう。徳政令が市場を破壊し、結局は武士階級全体の利益を損なうことを知っていたのである。

  強い司法機関を前提とする取引の透明性が金融市場発達の基礎であること、それは18世紀の幕府官僚にとって、既に自明の真理だった。特に堂島米会所の経験は、明治維新後、証券市場の設立にもいかされた。

  不況時にモラトリアムを発令する誘惑にかられるのは、現在の政治家も18世紀の政治家も変わらない。しかし、幕府官僚はそれが市場の破壊を意味することを知っていた。自由な市場経済を発展させる取引統治とは、財産権を一貫して保護する統治であり、その保護の範囲を場当たり的に変える政治ではない。

[4] 明治維新の成果

  明治維新の達成のひとつは、自由な資本市場を育成したことである。1878年、現在の東京証券取引所と大阪証券取引所の前身である東京株式取引所と大阪株式取引所が設立された。株式市場は1880年代半ば以降に急速に拡大し、鉄道会社や、綿糸を生産する紡績会社の設備投資に必要な資金を供給した。

  この企業ぼっ興の背後には市中銀行の積極的な融資政策があった。投資家たちは元手金で株式を購入し、その株式を担保に銀行から融資を受け、さらに株式を購入してまた担保に入れ、という借り入れを繰り返していた。

  この株式担保金融を通じて、銀行の資金が株式市場に流れ込んだのである。当局にも、投資家や銀行にも取引の全体像が見えにくい状況の下、銀行は過剰なリスク引き受けを累積させた。市場は80年代末にはバブルの様相を呈し、1890年、日本は初めてバブル崩壊を経験する。担保株式価格の暴落は銀行の資産を悪化させ、金融システムは危機にひんした。

  日本銀行は難しい判断を迫られた。担保株式価格の暴落によって資産の劣化した銀行を破綻させ、株式担保金融システムも同時に消滅させるのか、それとも、そのシステムが機能している現実を受け入れて、より透明な制度に移行させるのか。日銀は後者を選んだ。主要銘柄の株式を担保とする手形の再割引に応じ、大規模な資金注入を行ったのである。金融危機は収束し、株式市場は活況を取り戻した。同時に、日銀担保に指定されない株式を担保とする金融には、リスクに応じた利率が課され、金融市場の暴走は制御されることになった。

  1880年代には本格的に建設され始めた民営幹線鉄道は、1900年代半ばまでにはほぼ全国を網羅した。山手線や東北、関西、山陽本線など、今日の主要路線の多くが、この時期、資本市場から調達した資金で建設された。また、日本は1930年代に英国を抜いて世界最大の綿製品生産国となった。

  120年まえ、投資家や銀行家のマネーゲームは日本に初めての金融危機を起こした。しかし、資本市場は、彼らのむき出しの欲望を堅実な産業につなげる頑健な制度の下に再建された。全国を網羅する鉄道の建設資金も、市場を通じて昇華された彼らの欲望の産物である。

  金融制度の穴が招く金融危機。その時になすべきことは、銀行家の不道徳を倫理的に非難するだけでなく、危機につながる機会主義的行動を防ぐ制度を再設計することである。

※後半は、次週以降掲載します