今日,神経経済学---人間の経済行動の神経科学的研究---は顕著にプレゼンスを高めている一方で,標準的経済学者や実験経済学者からは厳しい批判が寄せられている.標準的経済学者の批判としてはGul and Pesendorfer(2008)が,実験経済学者による批判としてはHarrison(2008a,b)がある.このうち後者の批判の流れに対し,「経済学の哲学」の専門家であるドン・ロスは,神経経済学には2つのスタイルが存在するとし,ハリソンの批判が当てはまるのは,そのうちの1つのスタイルに対してだけであるとしている(Ross 2008).2つのスタイルの第一のものは,「スキャナー内の行動経済学(BES)」と呼ばれるものであり,行動経済学の実験をスキャナー内で行うものである.フェールやキャメラーなどが代表的とされる.第二のものは,グリムシャー,
モンタギューなどを代表的とする「神経細胞経済学(NE)」であり,これは神経細胞の活動を経済学的に
分析するものである. ロスによれば,前者にはハリソンの批判があてはまるが,後者はそうでない.
BESの代表例としては,協力行動の神経経済学があげられる.囚人のジレンマ,最後通牒ゲーム,信頼ゲームなどで合理的経済人を前提としては説明できない行動が観察されるなかで,その行動の神経科学的な基盤を探る研究が多数繰り広げられてきた.この流れの研究に基づき,フェールは「強い互恵性」という概念を提唱している.「強い互恵性」とは,「他者が協力的に,規範を順守する場合には,それに利他的に報い,規範を破る場合には,利他的に制裁を加える.たとえ報いたり制裁することで自分に利益がなくても,強い互恵者は,そのコストを引き受ける」(Fehr and Fischbacher 2003, p.785)というものである.
吉田氏のBESに対する悲観論に対しては,いくつかの疑問も提示された.たとえば,確かにBESの実験で直接観察されるのは相関関係にすぎないとしても,因果関係を確定できるような完全にコントロールされた実験は,現実には,他の科学の発展でもほとんどないのではないかという疑問である.むしろ,多くの観察事実をどのように見ていくのかというframe of referenceの転換が起こるかどうかの方が重要なのではないかという意見も提出された.これに対しては,吉田氏はBESのアプローチに対する悲観的現状があり,それを指摘したのだが,個人的にはBESのアプローチがブレイクスルーを見せることを期待しているという回答がなされた.
参考文献
Fehr, E. and U. Fischbacher (2003), “The Nature of Human ltruism,”
Nature, Vol. 425, pp.785-91.
Gul, F. and W. Pesendorfer (2008), “The Case for Mindless Economics,” in The Foundations of Positive and Normative Economics: A Handbook, edited by A. Caplin and A. Schotter, pp.3-39, Oxford: Oxford University Press.
Harrison, G.W. (2008a), “Neuroeconomics: A Critical Reconsideration,”
Economics and Philosophy, Vol. 24(3), pp.303-44.
Harrison, G.W. (2008b), “Neuroeconomics: A Rejoinder,” Economics and Philosophy, Vol. 24(3), pp.533-44.
Ross, D. (2008), “Two Styles of Neuroeconomics,” Economics and
Philosophy, Vol. 24(3), pp.473-83.
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