日本経済新聞コラム「やさしい経済学」にて3月3日より、VCASIフェローの岡崎哲二氏(東京大学)の連載が数回にわたって掲載されました。下記に許可を得て転載させていただきます。
[1] 高まる「制度」への関心
近年、経済学の研究者の間で国際的に「制度」への関心が高まっている。エコノメトリカなど、経済学関係の主要な学術誌5誌に掲載された、要旨に制度という言葉を含む論文の数は、1980年代には95だったが、90年代には151、2000年代には218に達している。筆者が専攻する経済史分野でも同様の動きが見られる。主要な学術誌3誌に掲載された制度という言葉を要旨に含む論文の数は、80年代、90年代、00年代に、それぞれ28、94、125と増加している。このような制度への関心の高まりには、いくつかの理由が考えられる。
第一は、80年代末以降に生じた社会主義経済の市場経済への移行である。この出来事は、あらためて国の間の制度の相違や、市場経済の制度的基礎について、研究者や政策当局者の関心を引き付けた。
第二に、93年に経済史研究者のダグラス・ノースがノーベル賞を受賞したことが挙げられる。ノースは国家によって所有権を保護する制度が形成されたことを、近代ヨーロッパの勃興(ぼっこう)の理由として強調した。
第三に、経済史分野でのそのノースの枠組みを乗り越えるさらに新しい研究の流れが生じたことである。ノースは専ら国家による所有権保護に焦点を当てた。これに対し、国家による所有権保護が機能しなかった前近代社会においても、私的契約の執行メカニズムが整備されることで、市場経済が発達したことが、スタンフォード大学教授、アブナー・グライフによって明らかにされた。
そして最後に、発展途上国を含む多くの国々について、長期マクロデータが利用可能になったため、それを用いた実証分析、特に制度に関する変数を説明変数に加えた分析が数多く行われるようになったことである。特に、マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者、ダロン・アセモグルらの研究は、制度が所得水準に大きな影響を与えることを示し、あらためて制度の重要性を確認した。
このように制度への関心が高まる中、グライフの著書『比較歴史制度分析』が昨年末、初めて日本で翻訳された。本稿ではこの内容にも触れながら、ゲーム理論を用いた制度分析の新たな発展について説明していきたい。
[2] マグリブ貿易商に着目
前回紹介したグライフによる「比較歴史制度分析」の出発点となったのは、11世紀の地中海世界における私的な契約執行の仕組みに関する研究である。そこでまず、その研究を通して、比較歴史制度分析の考え方と方法について述べることにしたい。
11世紀の地中海世界で遠隔地間の商業取引が活発に行われたことはよく知られている。古代ローマ帝国の解体後、中世ヨーロッパでいったん後退していた市場経済が再び拡大した。いわゆる「商業の復活」(アンリ・ビレンヌ)である。
グライフはこの歴史事象が提起する次のようなパズルに着眼した。すなわち、ダグラス・ノースらの研究以来、経済学者・経済史研究者によって広く認められているように、市場取引における契約が何らかの形で執行され、所有権が保護されないかぎり、人々は取引に参加するインセンティブ(誘因)を十分に持たず、市場経済は発展しない。
ノースらは、国家による契約執行と所有権の保護が近代のヨーロッパにおいて、市場経済発展の条件を与えたと考えた。しかし、地中海世界では11世紀から既に市場経済が発展しており、しかも、その時代の地中海世界では、遠隔地貿易に関して契約の執行能力を持つ、広域的な国家は存在していなかった。
国家が契約の第三者としての執行機能を担わない11世紀の地中海世界の状況下で、市場経済はなぜ、どのようにして発展したのだろうか。これが比較歴史制度分析の出発点となった基本的な問いである。この問いに取り組むにあたって、グライフは遠隔地貿易の主要な担い手の一つであった「マグリブ貿易商」(Maghribi Traders)と呼ばれる貿易商のグループに着目した。
マグリブ貿易商は、中東からイスラーム圏の西アフリカに移住したユダヤ人の集団である。驚くべきことに、11世紀におけるマグリブ貿易商の商業活動について記録した大量の文書(契約書、手紙、帳簿など)が、19世紀末にエジプトのカイロ旧市街で発見された。「ゲニーザ文書」と呼ばれるこの史料群が、国家による第三者執行が機能しない状況で、どのようにして遠隔地間の市場取引が行われたかを解明するための基礎となった。
グライフはこれらの史料から得られる当時の商取引の実態に関する歴史的な知識をもとに、契約執行に関するゲーム理論的なモデルを組み立て、当時機能していた、独特の自律的な契約執行のメカニズムを明らかにした。
[3] 履歴で代理人を選別
11世紀地中海世界でマグリブ貿易商は、遠隔地の商取引を行うに際して代理人を雇い、相当額の資本を委託した。他方、遠隔地にいたがゆえに、貿易商が代理人を監視することは難しかった。また契約執行能力を持つ、広域的な国家が存在しなかったため、代理人の不正を国家に訴えることもできなかった。しかし、現実には、代理人関係が広く普及していたから、そこには代理人の不正を防止する、あるいは代理人が不正を行わないことを事前にコミットする(確約する)何らかのメカニズムがあって機能していたはずである。
そのメカニズムは次のようなゲームによって描写できる。複数の商人と複数の代理人がいると想定する。商人に雇われた代理人には不正を行うか、不正を行わないで誠実に働くかの2つの選択肢がある。代理人がその選択をした後、商人は代理人との雇用関係を打ち切るか、次の期も継続するかを決定する。
商人から支払われる代理人の賃金、解雇された状態にある代理人の所得、不正を行った場合の代理人の利得、代理人を雇って商業活動を行った場合の商人の利得、代理人を雇わずに商業活動を行った場合の商人の利得、倒産など商人が意図しない形で代理人関係が打ち切られる確立……。そういったパラメーター(変数)が一定の条件を満たす場合、このゲームでは、次のような商人の戦略がゲームの均衡、「ナッシュ均衡」になることが知られている。すなわち、商人は代理人が不正を行わなかった場合には、代理人関係を続け、不正を行った場合は解雇する。新たに代理人を雇う場合、過去に一度でも商人グループの誰かに対して不正を行った経験のある代理人は選ばないというものである。
自分だけでなく、他の商人に対する不正についても見逃さず、不正経験がある代理人を雇わないという意味で、商人グループは集団として不正に懲罰を加える形になっている。
商人らのこの戦略が均衡(解)になるのは、次のような理由による。不正経験のない代理人と不正経験のある代理人を比べた場合、前者を雇ったほうがより安い賃金でより確実な行動を期待できる。後者は今回の行動いかんによらず、その履歴に不正の経験が既に書き込まれているのに対し、前者は今回不正を行うことによって履歴が大きく変わることになるからである。従って、前者は今回、不正を行うことによって将来失うものが大きく、低い賃金でも誠実に行動する。それゆえ、商人は不正経験のない代理人を選ぶのである。
[4] 株仲間も同一戦略採用
11世紀の地中海世界でマグリブ貿易商が採用した不正な行動に対する「集団的な懲罰」という戦略は、彼らに限ったものではない。私たちに身近な例としては、江戸時代の日本の商人たちも同じような戦略を採っていた。
江戸時代の日本と11世紀の地中海世界を比べると、前者の方がはるかに整備された国家による契約の執行と所有権保護の仕組みを有していた。幕府法と領主方からなる法制度があり、それを執行する裁判機関も行政と未分離であったとはいえ存在した。しかし、国家による契約執行は必ずしも十全なものではなかった。そのことを象徴的に示すのが「相対済令」という法令である。
相対済令は「金公事」、すなわち、金銭関係の訴訟を幕府の裁判機関が受理しないことを宣言した法令で、例えば、幕府直轄の江戸では、1661年を皮切りに、10回も発令された。この法令は経済的にたいへん重要な意味を持っている。公権力が契約の第三者執行機能を伴わないことを公然と宣言したものだからである。
相対済令に象徴されるように、国家による契約執行が十分に行われなかった一方、江戸時代の日本では、市場経済が発達していたことが知られている。では、江戸時代日本の市場経済で、契約の執行はどうのように担保されていたのであろうか。
この問いを考えるにあたって注目されるのは、当時の日本においても、11世紀の地中海世界と同じように商人たちが集団を形成していたことである。その集団は同業者の「仲間」であり、その主要なものは公権力から営業特権を認められた「株仲間」となっていた。
株仲間について注目されるのは、取引相手から不正を受けた場合、株仲間メンバー全員にそのことを周知するとともに、その相手に対してメンバー全員が取引を停止することを定めたものがあった点である。これはマグリブ貿易商が採っていたのと同じ集団的懲罰戦略であり、株仲間メンバーはそれに参加するインセンティブ(誘因)を持っていた。
問屋を中心に100以上に及ぶ幅広い業種で公認された株仲間による集団的懲罰が市場経済の機能を支えていたことは、1841年、水野忠邦による「天保改革」の一環として、株仲間による集団的行動が禁止された後の経済の混乱によっても確認することができる。株仲間禁止の後、マクロ的な経済成長率の低下、物価の上昇、信用の不円滑化など、様々な負の影響が経済に生じたのである。
[5] 裁判所が媒介
取引当事者のグループによる私的な集団的懲罰が契約の執行を担保する、というメカニズムは、理論的にその有効性を示すことができるし、歴史的にもその存在が確認されている。このメカニズムの前提条件の一つは、グループのメンバー全員が個々の取引相手を識別し、それぞれの過去の履歴を知っていることである。
このように個人に関する詳細な情報に依拠することは、一方で契約執行を確実にして取引にまつわる費用(取引費用)を小さくする正の効果があるが、他方で取引の範囲を限定するという負の側面を持っている。取引の範囲を拡大し、経済社会における分業関係を深化させるには、個人的関係に依存しない(impersonal)契約執行のメカニズムが必要となる。現代の先進諸国では、司法機関による第三者的な契約執行がその役割を担っている。
個人的関係に依存しない取引は、歴史上どのように発達してきたのだろうか。この問題に理論的に取り組んだのは、グライフが最初ではない。ポール・ミルグロム、ダグラス・ノース、ベアリー・ワインガストの3人は、共著論文の中で、ゲーム理論のモデルを用いてこの問題を分析した。
分析対象は12~13世紀ヨーロッパの大市(シャンパーニュ大市)である。太市にはさまざまな地域から多数の商人が集まって相互に商取引を行っていた。このような状況では、商人が相互に取引相手の身元を確認することはできなから、個人的関係に依存した契約執行の有効性は低いと考えられる。
ミルグロムらが提示した契約執行のメカニズムは、強制力を持たない大市の裁判所(Law Merchant)を中心とする、次のようなものである。
商人は取引に先立ち、裁判所に対して、取引相手を裁判所の判決に反して不正の補償をしなかった経験があるかどうかを照会することができる。その後、取引を行い、そこで不正を受けた商人は、裁判所に訴える。裁判所は訴えの妥当性を確認した上で判決を下す。裁判所は強制力を持たないため、不正を行った商人は、判決に従って相手に補償するかしないかを選ぶことができるが、後者の場合には、その事実が裁判所に記録され、次回に照会を受けた際、照会者に通知される。
要するに、太市の裁判所が情報の記録・媒介者となることを通じて、集団的懲罰に近いメカニズムが機能したというのである。
(後半へつづく)